障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

2017年10月

 9月に退院してから年内いっぱいくらいは自動車のない生活をしていた。
 10月に運転免許の更新がありその時”障害の事をふまえた上で運転が可能である”という内容の
診断書を当時の主治医に書いていただき実際に簡単な実技試験を行った結果、二輪車不可の限定はついたものの運転免許を更新する事ができた。
 しかし当時は完全にわたしが寝たきりになる前提で世の中が動いていていた。それまで乗っていた車などとっくに廃車にされていたのだ。

 思い出すとえらく
不便な毎日であった。
 退院していきなりワンルームマンションで一人暮らしを始めたので生活用品が
何もない所から(ベッドとテレビと固定電話の三点は親族が実家から運んできておいてくれたが)のスタートになった。
 冷蔵庫と洗濯機は思い切って
新調した。だから電気屋さんが運んで設置してくれた。
 問題は台所用品なのであるがこれは自分ではどうする事もできなかった...結果友人が仕事終わりに車を出してくれたのでホームセンターでまとめ買いする事ができた。
持つべきものは友人である...

 地元の病院でもリハビリは継続していた。だから毎日通院していた。
片道2.5kgの距離を歩いて通っていたのだ。今じゃとても無理である...車に乗れなくて不便な分身体は鍛えられたような気がする。
 まぁ、時間が合えば
福祉バスなんかも利用していたのだが片道だけは歩くようにしていた。
 車に乗れるようになった途端に歩かなくなったけど...あの時継続して歩くようにしていたらと思う事が時々あるが私の性格では絶対に無理だったろうから考えない事にしている。わたしは
筋金入りの根性無しなのだ!
 世のおじさんが「今の
若いもんは根性がないからダメだよ。」なんて言ってるのを耳にすると思わず小さくなってしまう...全然若くはないのに、むしろおっさんなのに...同級生の何人かにはすでに孫がいる事を考えるともはや爺さんじゃねーか!
 
 そうこうするうちに医療保険を使ってのリハビリ限度日数である180日が経過した...
180日過ぎれば症状も固定しそれ以上の回復は見込めないから医療保険は使えなくなる。というのだ、なんだかすっきりしない。
 わたしは
要支援2の介護認定を受けていたからそこから先は介護保険を使って老健でやりましょうということになった。完全に老人である。 
 ここですっきりしないことがもう一つ。わたしは現在障害者年金を受給しているのだが、年金の申請時期について不思議に思うことがある。わたしのような脳血管障害のものが障害者年金を申請できるのは発病から1年半が経過してからなのであるがその理由というのが...症状が完全に固定するのを待ってからでないと申請できないからでありその期間が1年半だというのだが。
 ???
医療保険は180日、年金は1年半、その間にいる人はどうなるんだろう?頼むから足並みは揃えようぜ...これが縦割りというやつか?

 これ以上書いた所で何も起こらないだろうから...
 たぶん10月くらいから
老健に身を移したんだと記憶しているのだが。そこはとてもじゃないが歩いて通える距離じゃなかったので行きは福祉バスで、帰りはデイサービスの方々が利用する送迎車を利用させてもらっていた。

 そうこうするうちに年末である。年末に嬉しいニュースが飛び込んできた。
自動車が手に入る!
 叔父さんが車を買い替えるので今まで乗っていた車を頂けるというのだ。しかも車検が1年残った状態である。どうやらわたしの死を待たずして車を廃車にしてしまったことを気にされていたみたいだ。まったく叔父さんにはいくら感謝しても感謝したりない...なかなか伺う機会がなくてすみません。お願い事がある時ばかり訪ねていくお調子者ですみません。
 喜んだのはいいが、自動車の運転てこんなに
難しかったか?こんなんでよく更新できたな?あれ?ぶつけちゃったー!てな具合で慣れるまでには多少の時間を必要としたのである。
 最初は本当に怖かった。
車なんて要らねーっ!とすら思ったもの。



 

 結局運転は出来たのかって?
 出来たんだなこれが。
 倒れた当初というかその後もずっと私が運転できるようになる事を予想していた人間は一人もいなかった。運転できない車の
維持費を支払っていくのは勿体ない。という事で倒れる以前に乗っていた車は私が目覚めるのを待つまでもなく廃車にされていた。
 自分的にもその事については何も疑問に思ってはいなかった。運転なんて絶対に不可能だと思っていたから...。

 しかしこの田舎町、車がないというのは大変に不便であった。
 町内どこに行っても
百円の福祉バスというものがあるにはあったが、それまで自家用車で好きな時間に移動ができていたことを考えると若干の不便さを感じずにはいられなかった。
 身障者手帳を提示すれば
タクシーが一割引になるサービスもあったが、自家用車の便利さに慣れている自分にとっては結構な不自由さが感じられた。
 贅沢になりすぎたと言ってしまえばそれまでなのだろうが、人間一度楽な方に流れてしまえば元に戻るのは至難の技なのだ。特に私のような怠け者にとっては殆ど不可能と言って良い。
 
 退院した次の月が偶然にも免許書更新の月であった。
 このまま免許を返納してしまうのも納得がいかない。改造車限定を付けるとかすればどうにかならないだろうか?と思い地元の警察署に相談してみた。

 すると「
警察署(交通安全協会)指定の診断書があるから入院してた病院の主治医に記入してもらって来なさい。」と言われたので早速警察署に診断書をもらいに行ってきた(その時はまだ運転できないのでおじさんに頼んで連れて行ってもらった)。
 見ると運転の条件に関して記述する欄があり、主治医が記入してくれた条件と警察が提示する条件を照らし合わせて運転の可否を決定する。と言う事のようだった。

 早速病院と連絡を取り指定された日時に診断書の記入をお願いしに行った(またもや連れて行ってもらったのだけれど)。書きあがった書類は郵送していただくよう手続きをして(車で片道2時間かかるから遠くて...)病院を後にした。

 診断書は数日で返送されて来た。封がされていてよくわからなかったのでとにかくそれを持って免許の更新に行った。

 免許センターでは
体の事に関する面接(結構長かったように記憶している)ちょっとの実技試験(コースを一周回っただけだった)が行われた。
 結果
2輪車には乗れないという限定付きで無事免許証は交付された。一切改造する事なしに普通に車に乗れてしまう...ほんまかいな?

 これはマジで嬉しかった...それまでは例えばラーメン煮る鍋を調達してくるにもバスか、タクシーか、友人に頼むかしないといけなかったのだから...自分の時間軸で動けないと言うのは不便なものなのだ。
 都会のように10分おきに電車が来るとかならまだしも、
一日に二本しかバスが通らなかったりするような田舎だと車は必需品なのである。

 これで行動範囲が劇的に広がる!やったでぇぇっ!
 と、思った次の瞬間自分の車が既に廃車にされていた事を思い出した...
なんでやねんっ!?

 昨日運転免許の更新に行ってきた。
 視力検査などは問題なく終わった...
 何の問題もなかった...しかし杖歩行というのが問題になったらしい...
別室に呼び出されて 色々と質問された。
 杖歩行になった原因は何なのか?運転に支障は無いのか?これまで運転に支障をきたすような事は無かったのか?
 はっきり言えば質問の内容はよく覚えてないのだが...
割と
不愉快だった事を覚えている。

 別室に呼び出されるのは障害者になって以来
毎回の事だ...もう慣れっこである。しかし今回は違った。何がどう違うかと聞かれれば良くわからないのだが、 不快指数が異常に高いのである。
 結局簡単な
実技試験があった。とは言っても試験コースを一周回るだけの簡単なものであったが。
 
 
脳血管障害 のある人間に免許証を与えるというのはかなり慎重にならざるを得ないというのはわかる。何か事故があってからでは遅いのだ。わかってはいても感じてしまう違和感...「本当にそのからだで運転できるのかよ?」的な上からの目線...障害者というのは被害妄想的なまでに神経質なのだ...

 この手の問題には慣れているつもりだったが...まだまだ
修行が足りないようである。

 試験の後教官と相談した。「
オートマ限定をつけて欲しい。」とお願いしてみた。

 うちの職場ではミッションの軽トラに乗る事が多い。そんな機会が回ってきた時オートマ限定の免許だと丁重に断る事ができる。しかしオートマ限定が付かない免許でそれをすると
「職務怠慢」とみなされる事が多い。というかそういう職場なのである。

 限定を付けていただけたのは結構嬉しいポイントであった。

 あれ?運転できたんだっけ?と思った方もいるかと思うのだが、実は出来たのだな。殆ど奇跡の回復を見せてきたおかげでいろんな事ができるようになってしまった...しかしできない事は今もってできない。

 
車の運転にまつわるエトセトラ、奇跡の回復にまつわるエトセトラ、おいおい書いていこうと思う...

 とりあえず運転できるようになったのはラッキーだった。
 次は
運転できない不便にまつわるエトセトラ についてでもぼそぼそと書いていこうかなぁ...

 

 車で送っていただいてるときに叔父さんに「じゃあ今日はウチに泊まって行きなさい、独り暮らしは明日から始めると良い。」なんて言っていただいた。
 しかし夜はすでに友人達との約束があったので申し訳ないけど丁重にお断りした。
「せっかくご馳走を用意してあるのに…」と、いかにも残念そうだったので非常に申し訳ない気がしつつも久しぶりに合う友人達の方に思いっ切り気持ちは傾いていた(本当にごめんなさい)。

 新居に到着した。今まで住んだことが無いようなきれいなマンションである。家賃を聞いて驚いた!都会に居るときにもそんな家賃のところに住んだことは無い。こんな田舎でそんな家賃あるのか?
まぁ都会ではおんぽろアパートにしか住んだことが無いからかも知れないが、それにしてもである…。
 例によってあっという間に荷物の整理が終わると「これからはもう少し真剣に生きなさい。」とか何とか(本当にごめんなさい、よく覚えていません)言われて一応解散となった。

 さて次は友人たちとの再開である。
 友人に車で迎えに来てもらって当時たまり場にしていた喫茶店に行った。
 なぜ迎えに来て貰ったのか?
 運転なんてできる訳が無いと思っていた。出来たとしても改造の施された福祉車両でないと…そんな風に考えていたから。車も廃車になっていたし。
 脳幹出血で倒れたときは絶対と行って良いほど助からないと言われていた。
 万一助かったとしてもまず寝たきりになるのははまぬがれない。
 そんな状態だった。だから乗りもしない車の維持費はムダな出費、一日も早く廃車にしてしまおうと言う事でわたしが意識を取り戻す前に廃車にしてしまったらしい。

 友人達との再開は、まぁ半年だから自分的にはそんなに感慨深いと言う訳では無かったのであるが、わたしが助かる可能性は非常に低い、とか思ってた人達はたいそう喜んでくれた。その喜んでくれる姿を見て感慨深いモノを感じた…なんじゃそりゃ!私にはヒトとして大切な何かが足りないのかもしれない。

 ひとしきり挨拶をし、雑談をし、いつの間にかそれがいつもどおりの日常の様に感じられるようになった頃...今度は別の友人に家まで送って貰った。

 一人になるとさすがに考えてしまった…これからは毎日こうなのだ。寂しいだとか不安だとか言ってる場合じゃないのだ。

 まぁ良い、明日から本気だそう…おいっ!←だからお前はだなぁ...

 バタバタしたからだろう、不安を感じる間もなければ恐怖を感じてる暇もない...
疲れ切ってすぐに眠ってしまった...。
色々考えるのはマジで
明日からにしよう...... 



 その日はついにやって来た...退院の日である。
 振り返ると5ヶ月なんてあっという間だった...楽しかったからな〜。
 午後には叔父さんが迎えに来てくれる事になっている。
 とりあえず午前中に最後のリハビリ→体重測定を済ませて、最後の昼食を済ませてから退院。という予定であった。
 最後のリハビリ...作業療法はいつも通り淡々とこなした。
 理学療法は入院当初担当してくれた若い、可愛い、怖いの三拍子揃った彼女が担当してくれた。30分間ひたすら話をしながら歩いただけだったが...
 彼女には本当にお世話になった。一生寝たきりと宣言された私をどうにか杖歩行できるまで導いてくれた。怖かったけど...
 すべてのリハビリを終えた後、特別にシャワーで汗を流すことを許された。退院が決まったということは一人で入浴する許可も降りていたということである。
 問題の体重だが80kgジャスト!とりあえずは目標達成である。ヤレヤレ...

 最後の食事を済ませて後は迎えを待つばかりという時にサプライズが...理学、作業、言語、すべてのセラピストから寄せ書きを頂いたのだ。嬉しくてホントに泣きそうになったが必死で堪えた。カッコ悪いもの。
 「その下手な鉄砲も数打ってればいつかは誰かにHitするかもよ!」なんて書いてあるのを見つけた時には膝から崩れ落ちそうになった...今だから言おう!わたしは入院中下手な鉄砲を打ちまくっていたのだ!旅の恥はなんとやら........因みに下手な鉄砲は未だに誰にもHitしていない...
悪かったな!!!

 そのうちにお迎えが到着した...ここに転院してきた時と同様にあっという間に退院の為の荷造りを済ませ、これまたあっという間に退院手続きを済ませ、病院を後に...別れを惜しんでる間もなければ感傷に浸ってる間もない、気に入ったあの娘と連絡先を交換する間もなく、車に乗せられ(乗せていただいて)家路に着きました。
 そうです叔父さんは超がつくほどのせっかちだったのです。

 自宅は昔料亭を営んでいて家の中は階段が多く障害者が一人で住むのは無理だろうということで親族がワンルームマンションを借りておいてくれた。
 今日からここが我が家である...都会で一人暮らしをしていた時を彷彿とさせる新居をまずは気に入り、入院中のこと、これからのこと、一人になった不安、いろんなことを考えてしまった。どうせなるようにしかならないのだ、考えるのは止めよう...開き直ろうともした。

 書いていていろんなことを思い出してしまった...なんか泣きそうである。
 ホントに楽しかったな...

 退院する時に親しい看護師に言われた言葉がある...
「ここはゴールじゃないから、スタートだから。辛いのはこれからだよ!厳しいのはこれからだよ!頑張ってね。」
 社会に出て時間がたてばたつほどこの言葉が身に沁みている。
 まさかこんなに厳しいとはな...


 
 

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