毎朝看護師が今日の日付、ここは何処か、など質問していくのですが始めて明確に答えられ、なおかつ覚えているのは3月9日でした。それ以降は事の重大さとは裏腹に随分穏やかな時を過ごした記憶があります。穏やかに過ごせるよう配慮していただいた親族の力が大きかったのかもしれません。
 因みにその時私は遠くへ嫁いだ妹以外に家族と呼べるような人はおらず全面的に親族の方々に支えられているような状態でした。すごく良くして頂いたおかげで大変な時期にもかかわらず何の不安も感じる事なく生活できていた記憶があります。
 しかし、正気を取り戻すに連れて先行きに対する不安が増長して行ったのも事実であります。家族がいないので退院した後は?社会復帰は?まるで思うようにならない右半身はどうなるのか?動くようになるのだろうか?

 当時の記録があります。看護計画書と言う書類です。入院当初の患者様の目標欄に”自立呼吸”と書いてあります。重症だったんだな...。
当時の主治医には割と早い時期に「一生寝たきりです。」とか言われてしまったし。

 リハビリがつらくてセラピストに「どうせ寝たきりなんだからリハビリしなくても良いんじゃねえ?」と当たった事もあります。「リハビリしてればこれ以上悪くなる事は無いです。だけど何もしなかったらドンドン悪くなりますよ。」と言われて言葉を失ったけど。脳出血なんて初めての経験だし(あたりまえか?)黙ってプロの言う事を聞く以外に自分にできる事は無いんだろうな?と思ってしまいました。
 脚力をつけるための運動やコップで水を飲む(これが出来なかったのです)などの一般的なリハビリ以上に何がしたかったかと言うと、後にも先にもギターが弾きたい、弾けるのかどうか確かめたい、この2点につきました。 
 リハビリの為だからと理由を付け病院側と交渉、病室にギターを持ち込む許可を貰いました。 病院の許可を貰った上で、友人に自宅の合鍵を渡し当時のメインギターを持って来て貰いました。 

 さて、実際にギターを弾いてみたところ...余りの弾けなさに衝撃を受けました。 絶望的です。これは...あの時あのまま死んでれば良かったとすら思いました。 だけど...現実を受け入れるしかないのかな?とも思いました。 

 正直言ってどうすれば良いのかわから無い状態でした。 
親しい友人、親族、誰に愚痴っても帰ってくる回答は一つでした。 
「本来死ぬはずだったんだ、生きてるだけで有難いと思わなきゃ。ギターが弾きたいなんてのは贅沢だ!」なんて内容のセリフです。 

 俺間違ってるの?身障者は生きてるだけで有難いと思わなきゃいけ無いの?夢も希望も持っちゃいけ無いの?振り返ればこんな事ばかり心の中で叫んでたように思います。 

「あなたより辛い思いをしている人だって沢山居るのよ。」なんてたしなめられた事も有ります。 それに関しては...僕には上手い言葉が見つけられません。頭では理解できているつもりなのですが、だからと言ってギターを諦める事なんて考えられませんでした。そんなに人間が練れてないのです。 

 贅沢だと言われようがやりたい事はやりたいんだ!とわがままに突き進んで来た。だからこそ今の自分があるのだと思います。 

 なんと言われようが思うように突き進む...大事な事かな?と思います。