3月9日に初めて日付と居場所を認識できるようになりました。
それから地道なリハビリが始まったのですがこれがかなり厳しいものでした。今思えば何でも無い運動なのですが理学療法士によるベッドの上で足を動かしたりお尻を上げたりする運動。作業療法士による日常作業(コップで水を飲んだり歯磨き、洗顔等)の練習。
 僕は右半身に麻痺が残っていたので右手を使ってコップの水を飲むなんて事は 至難の技でした。今でも難しいです...て言うか今ならあっさり左手を使います。
 当然といえば当然ですが、麻痺した手足で以前と同じ事をしようとするのですから簡単にいくわけがないのです。途中何度か挫けそうになりました。←根性の無さには自信があるのだ!

 そんな中主治医から「MRIの映像によると出血箇所が脳幹ですし神経の損傷もかなりあるので一生寝たきりになる事を覚悟してください。足の力はあるみたいですからもしかしたら立てるようにはなるかもしれません。」との あまりありがたくない言葉をいただいた。

 完全にやる気を失くした僕は作業療法士に「どうせ寝たきり確定なんだったらリハビリなんて意味ないじゃん。」とぶつけてみた。
すると「意味なくなんて無いです。リハビリを続けてれば今以上悪くなる事は無いです。だけど止めたらどんどん悪くなる可能性が高いです。諦めずに頑張りましょう。」と帰ってきた。
 なんか上手く丸め込もうとしてやがる...ひねくれものの僕はそんな事を考えつつ(ゴメンなさい)とりあえず丸め込まれてやる事にした (本当にゴメンなさい)。
 結果的には今こうしてブログなんぞを書いていられるようになったのだから大感謝である。

 後から聞いた話ですが脳出血の場合発病から3ヶ月までが勝負だそうで、3ヶ月まではリハビリすればぐんぐん回復するがそれ以降は回復のペースが緩やかになるのだそうです。半ば無理矢理にでもリハビリを続けてくれた理学療法士、作業療法士には感謝してもしきれません。

 道に倒れた僕のために救急車を呼んでくれた見知らぬ人。
家族の無い僕のために入院中一切の面倒を見てくれた親族の方々。
なんども見舞いに来てくれた職場の方々に友人達。
 あらゆる人に感謝です。少しでも元気になる事、少しでも発病前出来てた事が出来るようになる事 、そうする事が恩返しにもなるんだと思い精一杯リハビリに励む事を決心しました。
 そんなある日次の病院(専門のリハビリテーション科がある)に転院が決まったとの知らせを受けたのです。
 そこでのリハビリはかなり厳しいらしく色々な噂を耳にしました。
 曰く「かなり厳しいため場合によっては相当な痛みを伴う事もある。」
 曰く「痛みに耐えかねてリタイア、その結果回復が遅れついには寝たきりになってしまう人がかなり多い。」
 曰く「根性の無いお前に耐えられるわけが無い。リタイアした時のため次の病院を当たっておいたほうが...」
 曰く「血圧も計らないで全力で運動させるらしいぞ。」
 まったくこんな脅しの数々誰が言ったんでしょう?ちょっと考えれば解りそうなモノなのに当時の僕は信じ切っていたのです。
そしてすっかりビビりまくって「転院...嫌だ!ずっとここに居たい。」とか思っていたのでした。
 いくらそんな事を考えていても時間は流れていきます。あっという間にその日はやって来たのです。親族の方があっという間に退院の為の荷造りを済ませ、これまたあっという間に退院手続きを済ませ、病院を後に...もう逃げられないと腹をくくりました。
 自動車に乗せられ(乗せていただいいて)1時間少々、とうとう次の病院に到着...着いてしまったか...
 僕が入院する病棟はリハビリテーション科と言うだけあってリハビリの設備は以前の病院とは比べ物にならないくらい充実しているように見受けられました。
 理学療法士、作業療法士の人数も多く、言語聴覚士なる人物も。因みに言語聴覚士なんて言う存在を知ったのはこの時が初めてでした。
 全体の雰囲気も明るくリハビリに励む患者さんたちの表情もイキイキとしています。転院前に聞いてた数々の噂はなんだったんだろう?この時初めて「ちくしょう、からかわれてたんだぜ!」と気がついたのです。
 その日は病室に案内されて入院生活の説明を聞き夕食を済ませてお終い...明日からの生活がどんなだろうか想像しながらいつの間にか眠りにつきました。
 その頃には当初抱いてた不安や恐怖心はすっかり消え失せ、期待感の方が大きくなっていたのでした。