障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: 脳幹出血

 3月9日に初めて日付と居場所を認識できるようになりました。
それから地道なリハビリが始まったのですがこれがかなり厳しいものでした。今思えば何でも無い運動なのですが理学療法士によるベッドの上で足を動かしたりお尻を上げたりする運動。作業療法士による日常作業(コップで水を飲んだり歯磨き、洗顔等)の練習。
 僕は右半身に麻痺が残っていたので右手を使ってコップの水を飲むなんて事は 至難の技でした。今でも難しいです...て言うか今ならあっさり左手を使います。
 当然といえば当然ですが、麻痺した手足で以前と同じ事をしようとするのですから簡単にいくわけがないのです。途中何度か挫けそうになりました。←根性の無さには自信があるのだ!

 そんな中主治医から「MRIの映像によると出血箇所が脳幹ですし神経の損傷もかなりあるので一生寝たきりになる事を覚悟してください。足の力はあるみたいですからもしかしたら立てるようにはなるかもしれません。」との あまりありがたくない言葉をいただいた。

 完全にやる気を失くした僕は作業療法士に「どうせ寝たきり確定なんだったらリハビリなんて意味ないじゃん。」とぶつけてみた。
すると「意味なくなんて無いです。リハビリを続けてれば今以上悪くなる事は無いです。だけど止めたらどんどん悪くなる可能性が高いです。諦めずに頑張りましょう。」と帰ってきた。
 なんか上手く丸め込もうとしてやがる...ひねくれものの僕はそんな事を考えつつ(ゴメンなさい)とりあえず丸め込まれてやる事にした (本当にゴメンなさい)。
 結果的には今こうしてブログなんぞを書いていられるようになったのだから大感謝である。

 後から聞いた話ですが脳出血の場合発病から3ヶ月までが勝負だそうで、3ヶ月まではリハビリすればぐんぐん回復するがそれ以降は回復のペースが緩やかになるのだそうです。半ば無理矢理にでもリハビリを続けてくれた理学療法士、作業療法士には感謝してもしきれません。

 道に倒れた僕のために救急車を呼んでくれた見知らぬ人。
家族の無い僕のために入院中一切の面倒を見てくれた親族の方々。
なんども見舞いに来てくれた職場の方々に友人達。
 あらゆる人に感謝です。少しでも元気になる事、少しでも発病前出来てた事が出来るようになる事 、そうする事が恩返しにもなるんだと思い精一杯リハビリに励む事を決心しました。
 そんなある日次の病院(専門のリハビリテーション科がある)に転院が決まったとの知らせを受けたのです。
 そこでのリハビリはかなり厳しいらしく色々な噂を耳にしました。
 曰く「かなり厳しいため場合によっては相当な痛みを伴う事もある。」
 曰く「痛みに耐えかねてリタイア、その結果回復が遅れついには寝たきりになってしまう人がかなり多い。」
 曰く「根性の無いお前に耐えられるわけが無い。リタイアした時のため次の病院を当たっておいたほうが...」
 曰く「血圧も計らないで全力で運動させるらしいぞ。」
 まったくこんな脅しの数々誰が言ったんでしょう?ちょっと考えれば解りそうなモノなのに当時の僕は信じ切っていたのです。
そしてすっかりビビりまくって「転院...嫌だ!ずっとここに居たい。」とか思っていたのでした。
 いくらそんな事を考えていても時間は流れていきます。あっという間にその日はやって来たのです。親族の方があっという間に退院の為の荷造りを済ませ、これまたあっという間に退院手続きを済ませ、病院を後に...もう逃げられないと腹をくくりました。
 自動車に乗せられ(乗せていただいいて)1時間少々、とうとう次の病院に到着...着いてしまったか...
 僕が入院する病棟はリハビリテーション科と言うだけあってリハビリの設備は以前の病院とは比べ物にならないくらい充実しているように見受けられました。
 理学療法士、作業療法士の人数も多く、言語聴覚士なる人物も。因みに言語聴覚士なんて言う存在を知ったのはこの時が初めてでした。
 全体の雰囲気も明るくリハビリに励む患者さんたちの表情もイキイキとしています。転院前に聞いてた数々の噂はなんだったんだろう?この時初めて「ちくしょう、からかわれてたんだぜ!」と気がついたのです。
 その日は病室に案内されて入院生活の説明を聞き夕食を済ませてお終い...明日からの生活がどんなだろうか想像しながらいつの間にか眠りにつきました。
 その頃には当初抱いてた不安や恐怖心はすっかり消え失せ、期待感の方が大きくなっていたのでした。


  

 毎朝看護師が今日の日付、ここは何処か、など質問していくのですが始めて明確に答えられ、なおかつ覚えているのは3月9日でした。それ以降は事の重大さとは裏腹に随分穏やかな時を過ごした記憶があります。穏やかに過ごせるよう配慮していただいた親族の力が大きかったのかもしれません。
 因みにその時私は遠くへ嫁いだ妹以外に家族と呼べるような人はおらず全面的に親族の方々に支えられているような状態でした。すごく良くして頂いたおかげで大変な時期にもかかわらず何の不安も感じる事なく生活できていた記憶があります。
 しかし、正気を取り戻すに連れて先行きに対する不安が増長して行ったのも事実であります。家族がいないので退院した後は?社会復帰は?まるで思うようにならない右半身はどうなるのか?動くようになるのだろうか?

 当時の記録があります。看護計画書と言う書類です。入院当初の患者様の目標欄に”自立呼吸”と書いてあります。重症だったんだな...。
当時の主治医には割と早い時期に「一生寝たきりです。」とか言われてしまったし。

 リハビリがつらくてセラピストに「どうせ寝たきりなんだからリハビリしなくても良いんじゃねえ?」と当たった事もあります。「リハビリしてればこれ以上悪くなる事は無いです。だけど何もしなかったらドンドン悪くなりますよ。」と言われて言葉を失ったけど。脳出血なんて初めての経験だし(あたりまえか?)黙ってプロの言う事を聞く以外に自分にできる事は無いんだろうな?と思ってしまいました。
 脚力をつけるための運動やコップで水を飲む(これが出来なかったのです)などの一般的なリハビリ以上に何がしたかったかと言うと、後にも先にもギターが弾きたい、弾けるのかどうか確かめたい、この2点につきました。 
 リハビリの為だからと理由を付け病院側と交渉、病室にギターを持ち込む許可を貰いました。 病院の許可を貰った上で、友人に自宅の合鍵を渡し当時のメインギターを持って来て貰いました。 

 さて、実際にギターを弾いてみたところ...余りの弾けなさに衝撃を受けました。 絶望的です。これは...あの時あのまま死んでれば良かったとすら思いました。 だけど...現実を受け入れるしかないのかな?とも思いました。 

 正直言ってどうすれば良いのかわから無い状態でした。 
親しい友人、親族、誰に愚痴っても帰ってくる回答は一つでした。 
「本来死ぬはずだったんだ、生きてるだけで有難いと思わなきゃ。ギターが弾きたいなんてのは贅沢だ!」なんて内容のセリフです。 

 俺間違ってるの?身障者は生きてるだけで有難いと思わなきゃいけ無いの?夢も希望も持っちゃいけ無いの?振り返ればこんな事ばかり心の中で叫んでたように思います。 

「あなたより辛い思いをしている人だって沢山居るのよ。」なんてたしなめられた事も有ります。 それに関しては...僕には上手い言葉が見つけられません。頭では理解できているつもりなのですが、だからと言ってギターを諦める事なんて考えられませんでした。そんなに人間が練れてないのです。 

 贅沢だと言われようがやりたい事はやりたいんだ!とわがままに突き進んで来た。だからこそ今の自分があるのだと思います。 

 なんと言われようが思うように突き進む...大事な事かな?と思います。 


 呼吸が出来なくて意識を失うという事...まぁ死を意識しますわな、普通は。目を覚まさせてくれたのは「大丈夫ですか?」という見知らぬ人の声。しかしすでに全身が一切動かせない状態だったので何も反応する事ができませんでした。ハタから見れば完全に意識不明の状態です。
 何の根拠も無いのだけれどその時自分では ”くも膜下出血” だと勝手に思い込んでいて「くも膜下出血だ、助けて!」とか言おうとしたのですが全身麻痺していてしゃべる事すら出来なかったのです。

 その方が救急車を呼んでくれているのはわかりました。耳は聞こえていたのです。”救急車がくれば助かる。わざわざ車から降りて道に倒れといてよかった!” と思いました。と同時に気が緩んだのでしょう、再び気が遠くなってきて...
 次に目が覚めたのは救急車が到着して気道を確保された時(この辺は想像です)。
 病院に搬送されたあたりからはなんとなく覚えている。

 目覚める前の事です。 
 意識はあるものの身体がピクリとも動きません。ハタから見れば完全に意識不明の状態の時。 
 不思議な事に自分自身では死ぬなんてまるで思っていません。その内身体も動き出すさ!ぐらいにしか思っていなかったのです。 

 結婚して遠く離れた地に住む妹の姿が見えた時も「妹がわざわざ来てるという事は結構重症なのかな?」と思う反面で「どうせ見舞いに来るならもう少し回復してから...せめて話が出来るくらいになってからにしろよ。」なんてことを思っていました。 
 周囲の心配をよそにいたってのんびりした事を考えていたのであります。←怒られそうだな... 
 自分に限って死ぬわけが無い。完全に勘違いしておりました。 

 しかし場合によっては勘違いが物凄いパワーを持つ時だってあるのです。大いなる勘違いはまれに現実を引き寄せてしまう事だってあるのです。みんなで勘違いしましょう...違うって! 
ただ...あの時勘違いしておいてよかったな!とは思います。 

 後に聞いた話ですが「頭の中の疾患は頭の中で考える事に左右される事が多いので悲観的になると良く無い。」という事らしいのであながち間違いでは無いように思います。
 
 このように意識自体はずっとあったし看護師に聞いた話でも早い段階で目覚めてはいたらしいのですが、夢と現実を行ったり来たりしているみたいでなんだかよくわからない状態がしばらく続いていました。

 病棟では毎朝看護師が「今日は何月何日ですか?」とか「ここはどこですか?」とか質問して回るのだが始めてハッキリ答えられたのは3月9日でした。何故かこの日にちはハッキリ覚えています(合ってる保証はどこにも無いのだけれど)。

 ここら辺の事は記録があまり残っておらず(看護計画書が数枚残ってはいたが)記憶もいい加減なのでどこまで本当だか分からないのだけれど、自分の記憶の中の真実を元に書いているので間違いではない.........と良いなぁと思う。

 でもはっきり言える事が一つだけあります。
 あのまま車の中で休んでいたら...
発見されなかった時の事を考えると恐ろしくなります。発見していただくためにも ”倒れる時は目立つように!” 冗談でもなんでもなく真剣に思いました。 

 2006.2.14.…11年前のバレンタインデー。
この日僕は脳幹出血で倒れ一命はとりとめたものの右半身に麻痺が残り身体障害者になってしまいました。
 あれから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。
 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、人間について思った幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

 その日は何故か中古CDショップへ向かい車を走らせていました。田舎に住んでいるのでCDショップなんてモノは隣の市まで行かないとありません。高速使って1時間ちょっと...平日の仕事終わりに何故そんなところに行こうと思ったのかは分からないが結果的には大正解でした。自宅にいたら助かってなかった可能性が大だったのですから。

 あと少しで到着という時に眉間のあたりにピシャッと水がかかるのを感じたのですが、よく考えると車の中で水がかかる訳はありません。気のせいかな?とも思ったのですが眉間のあたりがヒリヒリしてきて…そうこうするうちに到着したらなんと定休日!唖然呆然!確認しとけば良かった!
 まぁ帰るしか無いかと思い家路に着いたのですが眉間のヒリヒリした感じがどんどん強くなってしかも広がってきてる。数分後には右半身が痺れてしかも力が入らない、このままじゃ運転が困難になるぞ!どうしよう?(なにしろブレーキを踏むのが困難だった)とか思っていたら道の駅入口にある待避所が見えて来たのでそこに停車しました。
 停車してさあどうしよう?今まで経験した事の無い症状だったので救急車を呼ぶしか無いだろうと思い携帯(当時はガラケーだったな)を手に取ったら手が震えて119ってプッシュする事も出来無い...
 どうするか?道の駅まで行って助けを呼ぶか?いやすでに運転できる状態では無いし。しばらく休んで楽になってから助けを呼ぶか?いやそんな事したら車の中で死んでしまう!
 今思えば死の予感があったんだと思います。発見されないと助かるモノも助からない、目立つように倒れよう!とか思いついてしまったのです。エンジンを切って車から降り車道ギリギリのところにうつぶせに倒れました。  IMG_2320       ここで倒れました→
 この時良かったポイントが二つあります。
 一つは、目立つように倒れた為発見が早かった事...。
 もう一つは、国立病院から5キロ以内の位置で倒れた為早期の処置が可能だった事...偶然にも隣の市にあるCDショップへ行ってたという奇跡。
 これが自宅だったら助かったかどうかは微妙です。寝室で横になってそのまま...そういう可能性が高かったように思います。
 車の中で休んでたら発見されずにそのまま...だったに違いありません。今思うとよほど必死だったのでしょう。わざわざ車から降りて道に倒れたのですから。いろんな偶然が重なり合って幸運にも帰ってくる事ができました。

 実は全身がピクリとも動かなくなって倒れたのですが意識はハッキリしていました。ハッキリ言ってメチャクチャ怖かったです。で、みるみるうちに力が抜けていき、すると自分の意思とは無関係におしっこが出てきて...そのうち呼吸が出来なくなってきて...完全に死ぬ!と思いました。
 呼吸が出来なくなってしばらくして意識を失い、次にはっきりと日付を認識できたのは3月9日の事でした。


 検査の結果、病名は脳幹出血(当然後から聞かされた)。本当に死ぬところでした。

 この日を境に思った事、体験した事、いろんな事を書いていこうと思いますので宜しくお願いします。



 

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