障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: リハビリ

 さて、話題はリハビリにもどる。
 以前の病院で 「一生寝たきりです。」と宣言された話を以前も書いた気がするのだが、その辺の事をこちらの病院でも主治医に質問してみた。
 答えは「自分次第です。頭の中の病気は頭で考える事に大きく左右されます。希望を捨てたらそれまでです。」と言われた。
 とにかく信じてみる事にした。
 どうなるかは分からない。が、信じてみるより他になかった。
 結果、入院してすぐ尿管は取れ看護師の介助付きという条件はあったものの病室のトイレを使用する事が許された。”一生寝たきり”だと思っていたのでどえらい事を成し遂げた気になっていた。
 しかし人間いい気になるとロクな事がない。それからほどなくしてベッドから車椅子への移乗をしくじり転倒する事になる。しかも、介助役の看護師を下敷きにして...
 その時(今もだが)私は一人暮らし、退院後は社会復帰も予定していた(独り暮らしの身としてはそれ以外選択肢が無かったのだ)。
 車椅子への移乗で転倒するようではとても一人暮らしはさせられない。と言う訳で、当初2ヶ月の予定とされていた入院期間 は大幅に伸びたのであった。
 
 その後リハビリは順調に進み4月29日には一本杖を利用してわずか5メートルではあったが歩く事に成功していた。
 思えば当初の私は全身が麻痺して意識はあるものの自分で呼吸する事もできない状態であった。
 最初に入院した病院では「右半身不随、一生寝たきり。」と診断され「リハビリ病棟でも右手のリハビリをするのではなく右手の代わりに左手を使う、いわゆる利き手交換に力を入れなさい。」といわれていた。
 歩くなんてなかば諦めかけていた。それが転院して一ヶ月もたたないうちにわずかながら歩くことができたのだ。
 理学療法士の先生(これが若い、可愛い、怖い、の三拍子揃った素敵な女性だった)に
 「どうですか?初めて歩いた感想は。」と聞かれた時 
 「ありがとう。」と言ったきり何も言えなっくなってしまった。 
 ひとことでも発したら号泣しそうで...泣くのをこらえていたのだな。恥ずかしいぞ!オイ! 
  リハビリはまだまだ進む。
 5月21日には初の外出許可がおりた。もちろん付き添い付きである。杖歩行で外出なんてのはまだまだ危険なので付き添いに車椅子を押してもらっての外出である。
 久しぶりの街にえらく緊張。あんなに大勢の普通に歩く人を見たのは久しぶりだ。
 車椅子目線で見る市街地はなんか怖かった。
 日頃バリアフリーの病院で暮らしていてすっかり忘れていたが、外に出ると段差はあるし坂はある。
 ちょっとした坂があってもちょっとした段差があっても何もできなくなる。
 たかが2時間の外出ではあったがえらく疲れた。
 病院を一歩出ると一人じゃ何もできないこと。
 こんなんじゃ退院できたとしても独り暮らしなんてできないであろうこと。
 いろんなことを思い知らされた。
 そんな状態でも社会復帰しようとしていたのだから図々しい。
 オマケに趣味のギターを再び弾けるようになりたいって...
 単なる勘違い野郎である。

 しかし時に「大いなる勘違いは大いなる現実を引き寄せてしまうこと」がある。
 当時のぼくには勘違いしたまま突き進む以外に道は無かったのである。 

 

 転院した次の日最初にしたのは体重測定だった。私の記憶が正しければ倒れる直前の体重は110kgと少しだったように思う。
 測定した日にはまだ立つことが出来なかった。どうやって体重計になんか乗れるのだろうと思っていたら何のことはない大きな計量器で車椅子ごと測ってくれた。何の苦もなくあっさり計ることができた、後は車椅子の重量を差し引けば OKである。
 病院の車椅子に1台1台重量が書いてあるのはこの為である。
で、肝心の体重はと言うと...なんと90kgジャスト!嘘じゃなかろうか?
 思えば倒れて以来食事らしい食事をしてこなかった。目覚めた後も食事は殆ど残していた。食事についてくるプリンだのヨーグルトは食べていたが肝心のご飯は残していた。何をどうやったって食べたくなかったのである。栄養は点滴で補っていた...と言うより点滴が主な栄養源だった。痩せて当たり前である。
 リハビリテーション科では自分でできることは自分でしなければならない。今まで食事は病室まで運んでもらっていたがこれからは食堂まで自分で行かなければならないのだ。その際の介助はあるにせよあくまで自分で行動するところなのである。でないと「リハビリにならない」と言う事らしい。
 ただ、自分でできる範囲というのは人それぞれであり体の状態によって病院側から決められていた。
 私はと言うと入院当初は自由に動けるのはベッドの上のみ、何をするにもナースコールをして介助または見守りをしてもらわないといけなかった。車椅子は手の届かないところに置いてあったから、嫌でも寝たきりからのスタートを余儀なくされたが、転院前に聞いていた数々の噂にビビっていたので「これでいいのだ!」と 素直に納得してしまった。
 ここでは担当の理学療法士と作業療法士と主治医の三者で相談して了解が出れば少しづつ行動範囲が広げられるシステムになっているらしい。まずはベッドから車椅子への移乗を一人でできるようにならないと先には進めない。
 職場からは「1年間の休職扱いにしておいたからじっくりリハビリしてこい。」との言葉をいただいていた。ここはお言葉に甘えてしまおうではないか。時間をかけて焦らず少しづつやって行こうと心の中で決めたのだった。
 ベッド上しか運動許可が下りてない状態からのスタート。食事の時は介護職員に車椅子で食堂まで連れて行って貰う。最初の食事の時に作業療法士がついてくれてその人にあったスプーンや箸(介助用の特殊なもの)を選んでくれるので次回からはそれらを使い何とか一人で食事を済ませなければならない。
 どうしても無理な事に関しては介護職員か看護師にサポートをお願いすると手伝ってはくれるのだがそれではリハビリにならないのでギリギリまで自力で、と言うのが基本的なルールである。

 トイレは自分の場合倒れて以来膀胱留置カテーテルを使用していたのでここの病院でも引き続き使用することになった。しかし自力で用を足すための筋肉の使い方などを少しづつ思い出して自分で排泄出来るようにする為2〜3日後には抜くことになった。
 それ以降はしばらく看護師に尿器で採ってもらっていた。...で、リハビリが進むとポータブルへ、もっと回復すると車椅子でトイレまで連れて行ってもらって用を足す、勿論介助付きだ。本当に一歩づつ前進する感じである(こうやって振り返ると悲惨だな)。

 肝心のリハビリであるが理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、それぞれの個別リハビリが毎日30分づつあった。運動許可が下りる前は毎回車椅子を持ってお迎えが来てそれぞれのリハビリルームへ向かっていた。
 先生についてのリハビリの時に「ここでの30分だけでは触りぐらいしかできないので運動許可が下りたら病室での自主トレにも力を入れてください。」と厳しく言われていた。
 そこの病院は通常6人部屋の広さの病室を4人で使用していた。えらく贅沢だな、と思っていたら立ち座りの練習などの簡単なリハビリは病室でも行えるようにとの配慮からであった。
 「個別で与えられた課題を暇さえあれば自主トレしなさい。30分づつの個別リハビリでどうにかなるような簡単なことでは無いのです。」と言う事らしい。

 私は改めて気合いを入れ直した...時間はかかっても良いから着実にリハビリに取り組んで行こうと思った。

 看護師にしろセラピストにしろ若くて綺麗な娘が多いんだもの... 

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