障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: ギター

 ダイエットも良いが肝心のギターはどうなったの?
 もちろん続けてはいた。が、あまりに先が見えない...結果、これ以上後退しないようにとりあえずさわってはいるぞ、くらいにしかさわってなかった。なにしろ
弦交換やチューニング すらままならないのだ。
 脳幹出血以前、自主制作で創ったCDを主治医に聴いていただいた。
 「こんなに本格的だとは思わなかった。」とお褒めの言葉をいただいた。
 「もう一度できるようになりますか?」と尋ねてみた...
 「
自分次第です。」とのお答え...
    まぁやるしか無かろう...これに関しては諦めるつもりなどこれっぽっちも無かったのだ。

 いろんな事を試した。ピックが持てないなら
サムピック だろうと思えば友人にいろんなサムピックを購入してもらっては病院宛に送ってもらったりもした。
 どれもこれもイマイチだった。
 作業療法士と相談してピックを持つ形で
右手を固定する装具を作って貰ったりもした。
 ここで、固定してはいけない事に気がついた。ピックの深さ、当たる角度、等を微調整しながら弾くことを考えるとある程度
指先は自由 に動かなくては...
 麻痺のことを考えると
完全固定したいし、表現することを考えると指先は自由にしておいてあげたい。
 
    実は未だにはっきりした答えは出ていない...いつか見つかれば良いなとも思う。
   しかしよく考えたらたとえ麻痺が無かったとしても答えなんてのは見つからないのでは?と思う時がある。
    ひとつ答えを見つけたころには次の疑問が…この歳になると耳が肥えていくスピードに実力の成長スピードが追いつかなくなっていく。結果やればやるほど実力の無さを痛感する。だからと言って練習をサボるとエラいことになる。若い頃と比べると衰えるスピードは猛烈に速い。

    未だにこうなのだ、入院してた当時はほぼ何も出来無いに等しかった。ピックを持てるようになるのが最重要課題だなんて…でも不思議と諦めようとは思わなかった。何なんだろう?よほどほかに好きなことが無いか、取り柄がないのだろう。
    自分の身体条件に合わせた新しいスタイルを確立する。なんてことを思い付く余裕は当時の自分には無かった。元の状態 に戻すことばかり考えていた。
    結局ギターに関しては入院中には何も起こらなかった。発想の転換をしてみたらどうだろう?なんて考えるくらい柔軟になれたのはもう少し時間が経過してからであった。

 正確な日付は覚えてないが、館内だけでなく病院の敷地内すべてを一人で歩く許可が下りた。
 これで先生について行うリハビリの時間以外はほぼ自由に使えるようになった。
 言い換えるとほったらかしである。コレが実に寂しかった。
 
 自由になった時間はほぼ歩くことに費やされた。
 屋外も自由に歩けるのだ(病院敷地内だけだが)。
 病院は結構な坂の上にあったのでその坂を歩くのがいいトレーニングになった。
1. 理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、それぞれについて行うリハビリの時間以外は基本的に自主トレをする。
2. 会社と同じように休憩は10時と15時に10分ずつと昼休みが1時間とする。
3. 17時を過ぎるまで決して横にならない。
  三つの誓いはきっちりと守っていた。
 夕食の後は消灯前の見回りが来るまでギターのリハビリをしていた。相変わらず弾けなかったけれど...
 でもやめるつもりは1ミリもなかった...どうやったら弾けるんだ?という疑問に対する答えもなかったし、いつか弾けるようになるなんて保証なんかどこにもない。
 でも不思議とへこたれなかったな。
 「おまえは本当なら死んでたんだ 。生きてるだけで良しとしなきゃ。ギターが弾きたいなんて贅沢だと思わなきゃ。」といって慰めてくる(というかトドメを刺しにくる)友人たちには結構へこたれたけど...
 はっきり言おう!一生やめない!やめてたまるか!どうだまいったか!(錯乱)

 そんなある日大学時代の後輩が遠くから見舞いに来てくれた。
 音楽サークルの後輩だけに「絶対負けるな!絶対ギター続けてください!」とか言ってくれたのは凄くうれしかったし勇気付けられた。
 他にも激励のメールをくれる仲間が多くいる。
 今でも遊びに行けばスタジオ貸切で遊んでくれる。
 若い頃の音楽仲間たちは皆応援してくれている。嬉しいではないか...

 ある時「俺ヴォーカルに転校しようかな?」と言ったら
 「あんた凄い音痴じゃねーか!頼むからやめてくれよぉ!」
 「一生かかってもギターで復活してくれよぉ!」
 懇願されてしまった...

 どうやら一生ギターやめさせてくれそうに無い...
 
 よっしゃ!腹はくくった!
 

 友人に家の合鍵を渡しギターを持ってきてもらった。転院する前の話である。
「リハビリには是非とも必要だ。」と言うと割と簡単に持ち込みを許可してくれた。
 但し、病室では弾かない事が条件だ。食事時間以外に空いてる食堂でなら許可します。という条件付きである。
 今のリハビリ病棟でもそのような条件付きではあるが持ち込みの許可が出た。
 他の入院患者の事を考えると条件付きは当然の事であり、部屋でも弾きたいのなら個室へどうぞ、という事だった...まあ当たり前であろう。
 弾いてみて驚いた 。まるで弾けない。いや弾ける弾けないを云々するレベルではない。ピックすら持てないのである。唖然呆然である。どうしよう?
 しばらく触ってなかったためか弦は結構錆びている。これは交換するしかないだろう。
交換作業に取り掛かってまたもや唖然呆然である。片手で弦交換...無謀だ、無謀すぎる。弦交換に1時間半もかかってしまった。
 それ以来わたしは錆びに強いコーティング弦を愛用している。と言うかそれしか使ってない。
 そしてチューニング。またもや唖然呆然...頭の中で何匹ものセミが鳴いていてこいつらが物の見事にチューニングの邪魔をしてくれる。
 どうにもチューニングができないのである。機械に頼らないとチューニング一つできないカラダになってしまった。まさしく唖然呆然←しつこいっ!
 上等じゃねーかコラッ!ここから這い上がってやるぞっ!その方がドラマチックでいいだろうよ!
 訳も分からず大変無謀な事を心に誓ったのであった...。
 今に見てろよーーーーー! 

 そんなある日先輩が見舞いに来てくれるというのでDVDをリクエストした。
 Deep Purple   Live in concert 72/73 
                           California JAM 1974
  Whitesnake   In the still of the night の3枚。
 古いと思うか懐かしいと思うか、人それぞれだろうけど 筆者にとっては間違いなく懐かしい。
 初心者だった頃(中学生だったな)必死でコピーした曲がいくつも収録されている。
 あの頃は何も弾けないなりに楽しかったな。
 まだカラオケもない時代、自宅にあったヴォーカルアンプにギターをつなぎレベルオーヴァーで壊れる寸前の汚い音で「これがロックだぜ!」とか言って技術もへったくれもない演奏をして陶酔していた...誰か止めてやればよかったのに誰も止める人間がいなかった。
 おかげで稚拙な演奏のまま大人になり、極度に低い精神年齢のまま中年になり、度を越した飲酒量に後押しされる形で脳卒中になり、気が付いたらこんな初老を迎えてしまった。
 それに比べるとWhitesnakeは最近だ(90年代だけど)。 これも大半の曲は昔コピーしたし自分のバンドでも演奏した。中学時代よりいくらかは上手くなっていたがまだまだ下手くそである。
 それにしてもその時のバンド名がBlacksnake...もう少しひねれよ!

 ノートパソコンで鑑賞した。仕事のリハビリに必要で持ち込んでいたのだ。観る前はいろいろ思い出して涙腺が崩壊するかな?と思っていたが以外と冷静に見れてしまった。
 コピーできてたつもりだったけどよく見りゃ違うじゃん。とか、どいつもこいつもレコード通りにゃ弾かねーな。とか、割と分析的に観てしまったのであった。
 DVDを持ってきてくれたこの先輩、パソコン、ギター、練習用アンプ、サムピック...いろんなものをもってきてくれた。
 倒れる前は良く遊びに来てくれていたのでわたしの家のどこに何があるか把握している。
 それを良い事に持ってきて欲しいものがあると合鍵を渡してはお願いしてた。
 長い入院生活が苦になるどころか以外にもメチャ楽しかったのは先輩のおかげである。
 おまけに若くて可愛いスタッフが多かったし...それかいっ!
 

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