障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: 入院生活

 車で送っていただいてるときに叔父さんに「じゃあ今日はウチに泊まって行きなさい、独り暮らしは明日から始めると良い。」なんて言っていただいた。
 しかし夜はすでに友人達との約束があったので申し訳ないけど丁重にお断りした。
「せっかくご馳走を用意してあるのに…」と、いかにも残念そうだったので非常に申し訳ない気がしつつも久しぶりに合う友人達の方に思いっ切り気持ちは傾いていた(本当にごめんなさい)。

 新居に到着した。今まで住んだことが無いようなきれいなマンションである。家賃を聞いて驚いた!都会に居るときにもそんな家賃のところに住んだことは無い。こんな田舎でそんな家賃あるのか?
まぁ都会ではおんぽろアパートにしか住んだことが無いからかも知れないが、それにしてもである…。
 例によってあっという間に荷物の整理が終わると「これからはもう少し真剣に生きなさい。」とか何とか(本当にごめんなさい、よく覚えていません)言われて一応解散となった。

 さて次は友人たちとの再開である。
 友人に車で迎えに来てもらって当時たまり場にしていた喫茶店に行った。
 なぜ迎えに来て貰ったのか?
 運転なんてできる訳が無いと思っていた。出来たとしても改造の施された福祉車両でないと…そんな風に考えていたから。車も廃車になっていたし。
 脳幹出血で倒れたときは絶対と行って良いほど助からないと言われていた。
 万一助かったとしてもまず寝たきりになるのははまぬがれない。
 そんな状態だった。だから乗りもしない車の維持費はムダな出費、一日も早く廃車にしてしまおうと言う事でわたしが意識を取り戻す前に廃車にしてしまったらしい。

 友人達との再開は、まぁ半年だから自分的にはそんなに感慨深いと言う訳では無かったのであるが、わたしが助かる可能性は非常に低い、とか思ってた人達はたいそう喜んでくれた。その喜んでくれる姿を見て感慨深いモノを感じた…なんじゃそりゃ!私にはヒトとして大切な何かが足りないのかもしれない。

 ひとしきり挨拶をし、雑談をし、いつの間にかそれがいつもどおりの日常の様に感じられるようになった頃...今度は別の友人に家まで送って貰った。

 一人になるとさすがに考えてしまった…これからは毎日こうなのだ。寂しいだとか不安だとか言ってる場合じゃないのだ。

 まぁ良い、明日から本気だそう…おいっ!←だからお前はだなぁ...

 バタバタしたからだろう、不安を感じる間もなければ恐怖を感じてる暇もない...
疲れ切ってすぐに眠ってしまった...。
色々考えるのはマジで
明日からにしよう...... 



 その日はついにやって来た...退院の日である。
 振り返ると5ヶ月なんてあっという間だった...楽しかったからな〜。
 午後には叔父さんが迎えに来てくれる事になっている。
 とりあえず午前中に最後のリハビリ→体重測定を済ませて、最後の昼食を済ませてから退院。という予定であった。
 最後のリハビリ...作業療法はいつも通り淡々とこなした。
 理学療法は入院当初担当してくれた若い、可愛い、怖いの三拍子揃った彼女が担当してくれた。30分間ひたすら話をしながら歩いただけだったが...
 彼女には本当にお世話になった。一生寝たきりと宣言された私をどうにか杖歩行できるまで導いてくれた。怖かったけど...
 すべてのリハビリを終えた後、特別にシャワーで汗を流すことを許された。退院が決まったということは一人で入浴する許可も降りていたということである。
 問題の体重だが80kgジャスト!とりあえずは目標達成である。ヤレヤレ...

 最後の食事を済ませて後は迎えを待つばかりという時にサプライズが...理学、作業、言語、すべてのセラピストから寄せ書きを頂いたのだ。嬉しくてホントに泣きそうになったが必死で堪えた。カッコ悪いもの。
 「その下手な鉄砲も数打ってればいつかは誰かにHitするかもよ!」なんて書いてあるのを見つけた時には膝から崩れ落ちそうになった...今だから言おう!わたしは入院中下手な鉄砲を打ちまくっていたのだ!旅の恥はなんとやら........因みに下手な鉄砲は未だに誰にもHitしていない...
悪かったな!!!

 そのうちにお迎えが到着した...ここに転院してきた時と同様にあっという間に退院の為の荷造りを済ませ、これまたあっという間に退院手続きを済ませ、病院を後に...別れを惜しんでる間もなければ感傷に浸ってる間もない、気に入ったあの娘と連絡先を交換する間もなく、車に乗せられ(乗せていただいて)家路に着きました。
 そうです叔父さんは超がつくほどのせっかちだったのです。

 自宅は昔料亭を営んでいて家の中は階段が多く障害者が一人で住むのは無理だろうということで親族がワンルームマンションを借りておいてくれた。
 今日からここが我が家である...都会で一人暮らしをしていた時を彷彿とさせる新居をまずは気に入り、入院中のこと、これからのこと、一人になった不安、いろんなことを考えてしまった。どうせなるようにしかならないのだ、考えるのは止めよう...開き直ろうともした。

 書いていていろんなことを思い出してしまった...なんか泣きそうである。
 ホントに楽しかったな...

 退院する時に親しい看護師に言われた言葉がある...
「ここはゴールじゃないから、スタートだから。辛いのはこれからだよ!厳しいのはこれからだよ!頑張ってね。」
 社会に出て時間がたてばたつほどこの言葉が身に沁みている。
 まさかこんなに厳しいとはな...


 
 

 試験外泊も無事終わり退院の日も決まった...後は入院中いかに充実したリハビリを行うか、である。
 理学療法は機械を使った脚力のトレーニングに加えて体幹を鍛えるための腹筋などにも力を入れていた。
 ただしこれらは機械は使わず先生とのマンツーマントレーニングが主となった。なぜマンツーマンかというと「機械を使うと一箇所を集中して鍛えることになるので体幹を鍛える目的にはそぐわない。先生の指示でひねりを加えたり背筋を織り交ぜながら全体をバランス良く鍛えることが理想的。」だからである。 
 理学療法はマシンによる
脚力トレーニング、マンツーマンの体幹トレーニングを行い自主トレではひたすら歩いた。
 
作業療法は日常作業に加えてパソコンでの
文字入力の訓練や仕事復帰後のことを考え本のページや伝票をめくるトレーニングを淡々とこなした。
 日常作業の一環として実際に
カレーライスを作ったりもした...味はどうだったかなんて事は覚えてないけれど。覚えてないという事は可もなく不可もない無難な仕上がりだったのだろう。もちろん作業療法士の監督のもとで調理した。

 以前支所長が「いきなり仕事なんかできないのはわかってるから少しづつ慣れていけばいい。ただ
8時間勤務できるだけの体力だけはつけておけ。」と仰ってたのでとにかく朝食を済ませてから夕食までの時間は絶対ベッドで横にならないようにした。で、自主トレではとにかく歩いた。細かい作業は職場復帰後仕事をしながら慣れていこうと思っていた。

 トイレはすでに
見守りなしで立ってする事が許されていた。あとは入浴であるがこれはまだ一人でという訳にはいかなかった。脱衣所で衣服を脱いで体を洗って浴槽に入るまでの間と、浴槽から出て体を拭いて着衣するまでの間は見守りを必要とした。

 ここで入院期間に関して面白い話を聞いた。
 ここの病院では
病気によって最長で何ヶ月入院できるかというのが決まっておりそれを過ぎてもリハビリが必要だと医師が判断した場合は他の病院に転院するのだという。
 私の場合(脳幹出血)最長期間は
6ヶ月であるらしく、予定通り9月3日に退院できればほぼ5ヶ月の入院期間という事になる。
 だからかどうか「万一入浴の許可が下りなくてもあと一ヶ月あるからあせる事はないよ、のんびりやろうよ。」なんて声をかけてくれる看護師さんもいた。
 
わたしはそれも良いかな?なんて思っていた。
 多くの患者さんは1日も早く家に帰りたいと願うものらしいがわたしの場合は違った。うちに帰れば一人なのだ。わたしには家族というものがないのだ。
 
 入院していればなんかあれば
ナースコールを押せば看護師さんが来てくれる。一定時間ごとに見回りにも来てくれる。その安心感は絶大である。対して独りである事の不安感の大きい事...何かあってもどうしようもない。道に倒れたっきり全身がピクリともしなくなってしかも意識だけははっきりしていたときの恐怖。孤独死という言葉が日本一似合う男...それはわたし
 人一倍ビビりのわたしはそんな事を考えると帰りたくない、とか思うようになった。5ヶ月近くも入院しているとスタッフ達とも打ち解けてくる。事実入院生活は
めちゃくちゃ楽しかった。ここのリハビリが厳しいと聞きそんなキツイところには来たくない!とか思ってたのが嘘のようである。一生寝たきり宣言されたのも嘘のように元気になった。
 マジで当時の事を思い出して
めっちゃブルーになって来た...いかん泣きそうだ...あれから11年以上たってるのにこのリアルな思い出し方はなんだ?11年もたってるから自分の中で思い切り美化されてるってのはあるだろうけど。

 そんな感傷に浸ってる暇などないくらいときの流れは早い...あっという間にその日はやってきた。

 果たして冷静にスタッフ達に
別れを告げる事ができたのか?本当に思い残す事はなかったのか?何より体重は落ちたのか?
 

 8月の何日だったか記憶にないが試験外泊というものがあった。
 自分の家に一泊ほど外泊しその様子を家族にチェックしてもらって本当に退院しても大丈夫かどうかの判断材料にする。というもので試験外泊で問題がなければ退院の日程が最終的に決定するのである。
 私には家族と呼べるようなモノはなかった。だから入院中ずっとお世話になっていた
叔父さんの家に外泊する事になった。実に歓迎してくれてひどく恐縮したのを覚えている。逆に言うとそれ以外の事はあまり覚えてない(すみません叔父さん)。
 そんな試験外泊ではあったが一つだけよく覚えていた事がある。
 何かと言うと外泊を終えて病院に帰る途中、病院近くのスポーツショップで
減量用のサウナスーツを発注したのである。
 スポーツショップを見つけるまでにだいぶ苦労した。当時叔父さんの車にはカーナビなんてモノは搭載してなかったから 車を止めて道行く人に聞きながらなんとかたどり着いた。
 そしたらまさかの在庫切れ!注文しようかと思ったが取りに来る術がない。店主に事情を説明すると「あの病院だったらよく知ってるから届けてやるよ。病棟と部屋の番号を教えてくれよ。」なんて言ってくれたモノだからその場でお願いして支払いをすませてきた。
 2〜3日後に届いたのだがこれが理学療法士たちにはかなり不評であった。サウナスーツとかを着用しての
無理矢理な減量は健康面を考えるとお勧めできない。といった意見がほとんどで、「汗が出ないのを絞り出すのならともかくほっといても汗が出るこの季節(8月)にサウナスーツって www。」なんて人も居た。
 結局サウナスーツは汗が出ない時期の減量用に取っておいて入院中は使わない事にした。この時の私は
一体どこに行こうとしていたんだろう?
 皆さんの予想通りサウナスーツは
一回も使用していない...スポーツショップのおっさん、ごめんなさい。
 結局試験外泊は何の問題もなく終わり、
9月3日退院というのが正式に決定した。 

 先日支所長がいらしたのに続いて総務部長と総務課長が今後の相談にいらっしゃった。 
 今回は傷病手当の事も視野に入れ、復帰時期について考えることになった。
 前回と大きく違ったのは復帰時期そのものであった。
 前回は、有給も使い切ったし保険も切れた、傷病手当は計算に無い→全くの無収入→
一日も早い復帰を、という流れであった。
 それに対して今回は、すでに一年間の休職手続きは取ってある→傷病手当があるので全くの無収入では無い→復帰を急いで体に負担がかかって再発でもすれば→
一年間しっかりリハビリをして少しでもよくなってから復帰を、といった具合である。

 まるっきり違う、笑っちゃうぐらい違う、こんなに違っていいのか?ってぐらい違うぞ。
 わたしの心の中では結論は出ていた。もちろん
後者である。わたしはなまけものなのだ。根性も無い。合法的に長期間休めるのなら迷わずそちらを選ぶ。わたしはそういう人間なのだ。

 しかし10月1日復帰という話を身内の者にはすでに発表していた。それを訂正してまわるのも気がひける。予想より遥かに早い復帰に皆喜んでくれていたから。

 まぁ、今度は正式に決定するまで黙っておこう。
 実は10月復帰の話があった時は自分でも「こんなに早く復帰できるぞ!
どんなもんじゃい!」という気持ちがあったので嬉々として皆に言って回ったのだが、今回はもう少し慎重に発表しようと思った。

 とはいえ9月3日退院というのは決まった。試験外泊をして問題がなければ正式決定である。
 わたしにはそれまでに成し遂げなければなら無いことがある。
 そう、
ダイエットである...
 目標
80kg!現在87.4kg...えっ!!

  

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