障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: 発病〜社会復帰

あれだけ死ぬに違いないだの、一生寝たきりだの、言葉が一生しゃべれないに違いないだの、言われていたにもかかわらずそれからわずか8か月とちょっと経過した クリスマスイヴ、わたしがどこに居たかというと隣の県にいた。
何をしていたかというと遊び狂っていた。何をして遊んでいたかというとここで書けようはずもない。そう言う事なのだ。
反省の色が無い、奇跡を起こした割には人間が軽薄で重みがない、障害者らしく大人しく してろ、色んなことを言われましたな。
どうやらあまりにも陽気で影がないから拍子抜けしたみたいなのだ。
思い切りを引きずってハタから見ていかにも可哀想 に見えないと面白くないのかしら?
だからみんなチャリティー番組が好きなのか?
で、たまに落ち込んでると「生きてるだけで有難いと思え。」なんて言う…どないやねん!

職場復帰までの間ジム老健 リハビリをしつつギターも忘れない程度に触って、しかもよく遊んだ
振り返ると充実した1年間だった。

以前ギターについてあれやこれやと書いた覚えがあるがそれ程集中 して練習していたわけではなかった。
集中するとすぐにアタマが痛くなるのでぼーっとして触ってる時間がやたら 長かったような気がする。

若い頃憧れていたギタリストがこんな事を言っていた。
単なるギタリストで終わりたくない。作曲、アレンジを含めたトータルミュージシャン として成功したい。」
単純(純粋)なわたしはすぐに感化され、コレだ!コレだよ!なんて思ったモノだ。
何故かそのことを思い出したわたしは「そうだよ!ギターが弾けないからって悲観 することはない。トータルミュージシャンを目指せば良いでは無いか!逆に考えればトータルミュージシャンに成長するチャンスじゃないか。これを機にステップアップ すれば良いじゃ無いか!」
完全に勘違いしていた…
以前から作曲に使っていたDAW(デジタルオーディオワークステーション)を本気で使いこなそうと思った。
DAWは今まで使っていたSonarからProToolsLEに乗り換えた。もうやる気である…が! ProToolsLEに慣れるまでにくじけそうになる。スゲー使いづらい!マジでこんなのが業界標準なの?
しかしもうやるしかない。ソフトに同梱のデモ曲リミックス したり編集したりで使い方を覚えていった。覚えて思ったことは「何コレ 凄い使いやすい!さすが業界標準!」…人間ていい加減だ。
ある程度覚えたらギターで曲を作ってレコーディングして…とか思っていたのだが。
ギターリフからの曲作りばかりしてきたわたしである。ギターが弾けないのに曲が 出来る訳がないのであった…
試行錯誤は続くのだ…

2006年に話を戻そう。
自動車に乗れるようになったのは大変に大きな出来事ではあったが、イザ乗れるようになると当たり前のように歩かなくなり、当たり前のようにリバウンドしていった。
とは言ってもまだ退院して間もない時期だけに多少は気を付けていたのでそんなに激しいリバウンドをしている、と言う訳では無かった。
ジムに毎日老健には週2のペースで通っていた。そこで脚力を鍛える運動、体幹を鍛える運動、有酸素運動などをしていた。
通うのにクルマを使うようになった分歩く距離は確実に短くなっていたが。

それに対してクルマに乗る距離はかなりの勢いで伸びていった。
気が付けば隣の県にまで足を伸ばすようになっていた。
あれ?俺一生寝たきり宣言されなかったっけ?この件に関して面白い話を聞いた。
医師が「歩けるようになりますよ。」とか言ってしまって歩けるようにならなかった場合、時として患者とその家族から猛抗議を受けることがあり、酷いときには裁判沙汰にまで発展してしまう場合があるという。
だからこう言う場合、最悪の事態を想定して答える、と言うのだ。
なるほど、わたしも最悪の場合寝たきりになっていたわけだ…おー怖い!
そう考えるとリハビリ病棟の先生はうまいこと言ってたな。どのくらいの回復が見込めるか質問すると必ず「自分次第です。」と答えていた。
これに関してはわたしも
同じ意見だ。
自分で
勝手に思い込む、それが勘違いであってもいい。回復すると思い込むのだ。とにかく思い込む...信じる、と言い換えてもいい、おや?その方がかっこいいな...
頭の病気だ、
頭の中で考えてる事に左右されるに違い無い!
その証拠に
ダメだと思ったらそこまでだ。進歩が停止する。下手をすると後退する。
思い込んでる
限りそれ以上悪くなる事は無い。だから自分次第なのか?
とりあえず

信じて信じて信じまくれ!...........勘違い吠えてみた...かっこ悪...
 

 ギターについて少々話そうかな。
 大した進展が見られないものの
続けてはいた。
 退院後マンションに引っ越した時友人に頼んで
真っ先にギターを持ち込んだ。
 「そんなのは
で良い。まず社会復帰して、周囲にみとめてもらうのがだろう。」なんて事を結構言われた記憶がある..。
 まったく...
大人はわかってくれない...そういうわたしも良いおっさんなのだが。
 とにかくやろう。まず、
右手が動かない分左手を強化しよう!という極めて単純な作戦を思いついた。ハンマリングオン、プリングオフの強化である。
 初心者向けの教則本を買ってきて
左手強化フレーズのページばかり練習した。倒れて以来こんなに練習したのは初めてだった。
 しかしさすがは
脳幹出血経験者5分も集中していられないのだ。集中していると頭部が膨満感を感じだし破裂しそうな感覚を覚えてギターどころでは無くなってくる。これは徐々に慣れて集中していられる時間を伸ばしていくしかなかった。
 一つ解ったのは
リラックスできていると長時間演奏していられるという事。集中を要するプラクティスの時間は体調と相談しつつ適当なところで切り上げておいて適当に出来るプレイの時間を増やしていけばギターに触れている時間を伸ばす事ができる。
 それでも昔のように
数時間も弾いていられる訳ではなかったので徐々にやっていくしかなかった。

 少しでも
をするためにアレやコレや考えた...当時何が苦手だったかというと弦交換だった。ロック式トレモロユニットなんか搭載してた日にゃ弦交換だけで数時間かかった。IMG_3232
IMG_3228 そこですべてのギターのブリッジを
2点支持のシンクロナイズドトレモロユニットに交換した。
 上は
ウィルキンソンVS-100N。
下はフェンダー アメリカン ストラトキャスター トレモロ
 ロック式より弦交換は断然簡単である。
 余程激しい事をしない限りそうは狂わない。トレモロユニットはこのタイプで決まりだ。
 個人的には安定感はウィルキンソンアーミングのスムーズさはフェンダーに軍配があがるような気がしている。要はどっちでも良いのだが...


 アームに触れたならペグにも触れておこう。IMG_3219ペグもロック式を使っている。というかロック式に全部変えてしまった。ギブソンというメーカーのヒストリックコレクションという高級ギターのペグも交換したらギターマニアの友人にえらく怒られた事がある。(黙れ!ギターなんて弾いてなんぼじゃ。弦交換もできないギターなんぞに用は無いっ!)
  
 
そして思いついたのが
弦交換の機会を減らす事、すなわちロングライフ弦の導入である。使っているのはコレ。
IMG_3225  
エリクサーのコーティング弦(有名ですね)。現に特殊なコーティングがしてあって錆びにくいと言うが、本当に錆びないんだこれが。ちょっと驚いたもの。
 コーティング弦に関しては
賛否両論、長持ちを絶賛する声がある一方で、コーティングしてある分弦本来の音がしない、とかコーティングしてある分アースが弱くノイズが乗りやすい、とか否定する意見もある。
 わたし的には全然
気にならない。なにしろ糞耳のド素人である。頭の中では常にセミが3匹鳴いている。弦交換の回数が減るというだけでそれはもうなのだ。

 こうして
自分自身がリハビリを頑張る事よりも機材を自分向けに変えていく事に力を入れいかに楽して前進するかをテーマにした他力本願とも言える復活ロードが始まったのである。 

 ブレーキを左足に担当させると決めてからは慣れるのは速かった。
 慣れるのが速い分楽な環境に慣れるのも速かった。
 あっという間に
歩かなくなった 。
 自分の
好きなタイミングで歩いては行けそうも無い遠くまで行く事ができるのである。歩かなくなって当然である。
 リハビリに通っていた
老健にも車で行くようになった。歩いて5分もかから無い職場へも車で通うようになった。気がつけば殆ど歩かなくなっていた。
 隣の県の歓楽街とかにも平気で行くようになった...休職中なのにである。

 で、仕事復帰はどうなったのかというと、結論から言うと
”一年間の休職期間の後”という事になった。一時は10月復帰という話もあったのだが、一年間の休職と言うのはすでに決まっていた事らしく
”自宅療養及びリハビリに期限いっぱい励んで、少しでもよくなった上で復帰しなさい。中途半端な状態で復帰して倒れられでもしたら逆に迷惑だし...”という事だった。
 喜んで良いのか悪いのか複雑な心境であったがお言葉に甘えさせていただく事にした。という訳で正式復帰は
2月15日に正式決定したのである。

 そうとなったらリハビリに気合いを入れるしか無い。老健でのリハビリの他に町営の
健康施設(早い話がジムのようなもの)での自主トレにも励んだ。車を手に入れて歩かなくなった分を補う作戦である。
 起床→朝食→掃除、洗濯→ジム→昼食→ジムまたは老健(水曜、土曜)→帰宅→夕食
 なんだか入院中のような規則正しい生活をしていた。いつから崩れだしたんだろう?

 
ギターのリハビリもする事はしていたが中々出口が見えなくて...色々と試行錯誤はしていたが。右手が麻痺してピックが持て無いんだけどどうしよう?なんて低次元のところをうろうろしていた。
 結局
一曲作ってレコーディングするまでには11年の年月を要するのだった。いや〜長かったぜ!

 何はともあれ自動車が手に入った。これからは公共の交通機関に時間を拘束されることもなく自分のタイミングで動けるようになる。
 田舎の交通機関は何しろ本数が少ない。30分に一本などというレベルではない。
一本逃すと次は2〜3時間後 とかいう世界だ。終電が18時30分!とかいうレベルだ。自動車がないとそれはもう不便なのだ。
 
 喜んでいた。どう考えたって嬉しいに決まってる。半年前には
一生寝たきり の宣告を受けたばかりなのだ。
 
俺に限ってそんなはずはない!と勘違いし、事の重大さとは裏腹に極めて能天気にリハビリしてきたのが良かったのだろう←やっぱり勘違いのような気がする。

 とりあえず家の周りの空き地で練習だ。喜び勇んで自動車に乗ってみると???なんか変だ。そりゃそうだろう、右足には麻痺が残っており目で見ないと右足がどこにあるかわからない のだから。
 まず右足の位置を
目で見て確認してから前を向いてアクセルを踏む。幸いにもアクセルを踏んでいる感覚は多少ではあるがわかったのでそのわずかな感覚と実際に車が走るスピードを目安にスピードをコントロールする事ができた。しかし補装具で足首は固定されていたので主に 膝の屈伸を使いスピード調整を行っていた。
 次にブレーキであるがこいつには苦労させられた。アクセルを離してブレーキを踏もうとすると感覚の鈍ったわたしの右足では中々
ブレーキが見つけられないのである。目で見るわけにはいかないし...
ブレーキが遅れて
壁にぶつけてしまった事もある。これじゃ駄目じゃん!なんで更新できたかなぁ?
 結局作業療法士とも相談してブレーキは
左足 で踏んでみては?という事になった。早速練習である...左足ブレーキに慣れていないせいか最初は散々であった。どうやったって急ブレーキになる...カックンブレーキというやつだ。しかし止まれない事を思うとこっちの方が全然いい。車は速く走る事 より確実に止まる事の方が重要であるなんて言葉をよく耳にするがまったくその通りだと思った。ブレーキを踏んだつもりでも一向に止まらなかったりするとムッチャ怖いぞ!
 その頃から少しづつ公道に出るようにした。停車するたびにカックンカックンさせながら…今思うとずいぶんかっこ悪いが、そんな事思いもしなかった。必死だったもの。
 左足には麻痺がないだけに
慣れるのは早かった。あれ?いつの間に慣れたんだっけ?と思うくらい気がついたら普通にコントロールできていた。そしてその頃から徐々に公道範囲を広げていった。
 
 車の運転なんていう
普通の事が普通にできる事がどれだけ嬉しかったか。
 実は
普通である事ってすごい事なんじゃないのか?
 これからは何事にも
感謝の気持ちを忘れずに生きていこう。

 その時は確かにそんな風に思ったのだが...そんな事
すっかり忘れてしまったわたしはすっかり楽な方に流されるようになりものすごい勢いでリバウンド していくのだった...
 
 

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