障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: 発病〜社会復帰

 正確な日付は覚えてないが、館内だけでなく病院の敷地内すべてを一人で歩く許可が下りた。
 これで先生について行うリハビリの時間以外はほぼ自由に使えるようになった。
 言い換えるとほったらかしである。コレが実に寂しかった。
 
 自由になった時間はほぼ歩くことに費やされた。
 屋外も自由に歩けるのだ(病院敷地内だけだが)。
 病院は結構な坂の上にあったのでその坂を歩くのがいいトレーニングになった。
1. 理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、それぞれについて行うリハビリの時間以外は基本的に自主トレをする。
2. 会社と同じように休憩は10時と15時に10分ずつと昼休みが1時間とする。
3. 17時を過ぎるまで決して横にならない。
  三つの誓いはきっちりと守っていた。
 夕食の後は消灯前の見回りが来るまでギターのリハビリをしていた。相変わらず弾けなかったけれど...
 でもやめるつもりは1ミリもなかった...どうやったら弾けるんだ?という疑問に対する答えもなかったし、いつか弾けるようになるなんて保証なんかどこにもない。
 でも不思議とへこたれなかったな。
 「おまえは本当なら死んでたんだ 。生きてるだけで良しとしなきゃ。ギターが弾きたいなんて贅沢だと思わなきゃ。」といって慰めてくる(というかトドメを刺しにくる)友人たちには結構へこたれたけど...
 はっきり言おう!一生やめない!やめてたまるか!どうだまいったか!(錯乱)

 そんなある日大学時代の後輩が遠くから見舞いに来てくれた。
 音楽サークルの後輩だけに「絶対負けるな!絶対ギター続けてください!」とか言ってくれたのは凄くうれしかったし勇気付けられた。
 他にも激励のメールをくれる仲間が多くいる。
 今でも遊びに行けばスタジオ貸切で遊んでくれる。
 若い頃の音楽仲間たちは皆応援してくれている。嬉しいではないか...

 ある時「俺ヴォーカルに転校しようかな?」と言ったら
 「あんた凄い音痴じゃねーか!頼むからやめてくれよぉ!」
 「一生かかってもギターで復活してくれよぉ!」
 懇願されてしまった...

 どうやら一生ギターやめさせてくれそうに無い...
 
 よっしゃ!腹はくくった!
 

 7月下旬、ついにその日がやってきた。
 館内全域を杖歩行で、しかも見守りなしで移動できる許可が下りたのである。
 トイレも立って用を足す許可が下りた。これからはリハビリ室に行くのも一人だ...
 今まではその日の担当看護師に見守りをお願いしなければ歩行訓練も立ち座りの練習もできなかったのである...自由に動ける時間が一気に増えた。


 独りの歩行訓練...あれだけ希望していたのにもかかわらずなんか寂しくて困った...話し相手はいた方が良かったかもしれない。なんなんだ俺は?

 ちょうどその頃会社の支所長が見舞いに来られて色々お話しさせていただいた。
 「復帰の時期は今の時点ではなんとも言えない。いきなり仕事ができるとも思えないし期待もしていないから徐々に慣れていって欲しい。ただ8時間会社にいるだけの体力はつけておくように。」
というようなことを言われた。

 その日からある決め事をした。
1. 理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、それぞれについて行うリハビリの時間以外は基本的に自主トレをする。

2. 会社と同じように休憩は10時と15時に10分ずつと昼休みが1時間とする。

3. 17時を過ぎるまで決して横にならない。
 
 以上3点(別にどうってことはないのだが当時のわたしには十分すぎるほどハードだった)を自分に課した。

 どういう訳かこれがほぼ完璧に実行できたのである。当時の自分は実に前向きだった...深く反省もしていた。

 当然であろう。脳内出血で倒れ「明日の午前十時までもつかどうか?」と言われ、奇跡的に助かったものの「一生寝たきりです。」と宣告されたのはホンの数か月前なのだから...

 さすがのわたしもこれぐらいひどい目に合えば反省するのだ。



 

 さて話を元に戻そう...といっても結構話が飛んだから元がどこだったかよく分からない、完全に迷子だ。
 とりあえず体重の話に戻ろう。困った時のデブ話だ。
 運動許可が下りて売店に一人で行き来するようになって体重が一気に増えたところまでは書いたような気がする。その続きを...

 とにかく間食をやめた。看護師には「もし間食しているのを見つけたら容赦なく没収してくれ。」とお願いした(見て見ぬ振りをしてしてくれる優しい看護師も中にはいたのだ)。

 が、体重っていうのは増えるのは早いが減るのは遅い。
 しかも、カロリー制限だけではなく適度な運動もしていかないと良くないらしい。

 分かりやすく言うとこうだ。カロリー制限だけで減量した場合は脂肪と一緒に筋肉も落ちていく。で、リバウンドした場合は脂肪だけが増えて行く...結果元に戻った時体重はそのままで体脂肪率だけが増える。元の状態より締まりのないぶよぶよBody が出来上がる。

 これを繰り返していくと...今の私のような情けない事になってしまう。体重だけならいいが...でぶは万病のもとなのだ。

 そういうわけで間食を減らすだけじゃなく自主トレにも力を入れた。立ち座りの練習100回3セットに加えて見守りをつけての歩行訓練(杖必須)を今まで以上に行った。
 86kgまでは割とすぐに落ちたのだがしばらく横ばいが続いた。その頃には変な欲が出ていたためもっともっと頑張ろうという気になっていた。

 早く見守りなしで歩行訓練をしたい。早く館内だけじゃなく表を歩きたい。もっともっと痩せてやる!二度と脳卒中なんかになるもんか!

 私の人生において実に稀なことだが「前向きな気持ち」になっていたのである。
 
  

 7月某日部屋の引越しがあった。
 ここの病棟ではリハビリの進み具合によって部屋の移動がある。
 リハビリが進むにつれてナースセンターから遠ざかるのだ。なるほどな〜
  そして引越しの時起きてはならない事件が発生する...かくしていた大量のお菓子が見つかったのだ。しかも相手は最恐のナースHである。
 H「このお菓子は没収します。」
 私「はい。」
 H「他にはないでしょうね。」
 私「はい。」
 あまりのど迫力に「はい」としか言えない私...実はギターケースの中に非常食のカンパンを隠してあったのだが...
 結局それ以外のお菓子はぜ〜んぶ没収されてしまった。しかも
 「部屋が汚い!きれい好きの私には耐えられない!ホント最悪!」との捨てゼリフを残して...四角いブラウン管を丸くしか拭かないくせに、なんて事は口が裂けても言えないのであった。
 結局見つかった時のことを思うと無性に怖くなったぼくは結局検温の時に自らカンパンを差し出してしまった。
 「あんたねぇ!どこに隠してたの?もう無いでしょうねぇ?だいたいあんたはねぇ!だらしないのよ!云々...」
 こんなことなら自白なんてするんじゃなかったと思わせるのに充分な有難い言葉の数々...誰だ!こいつを看護師にしたのは?

 引越しが無事終わりベッドでくつろいでいると主治医がやって来た。
 「昨日の血液検査の結果ですが...中性脂肪やコレステロール、血糖値が異常に高い数値を示しています。これは大量に間食をしているとしか考えられない数値です。」
 「来週再検査します。それまでに間食をやめてくださいこんなことだといつまでたっても退院させられませんよ。」だと...
 
 再び真面目な食生活を送ることを固く決意...ここから鬼のようなダイエットが始まる。
 結論から書くと今度のダイエットは退院まで続く。が、退院してからが良く無い。いずれ書こうとは思うが減量とリバウンドの繰り返し...
 そういえば昔自主制作したアルバム(CD)のタイトルが
”リバウンド”だったことを思い出した。
 
 ...なんか筋金入りだな...馬鹿は死ななきゃ治ら無い......ほんまや!

運動許可と売店と激太り
 6月になると(介助の人が付き添い付きなら)車椅子で病院内どこでも行ける許可が下りた。
 6月中旬には(介助なしで)車椅子で館内を自由に移動できる許可が下りた。
 入院当初はベッド上しか運動許可が下りてなかったことを考えると大した進歩である。
 
 館内全てひとりで移動できるとなったら最初に行ってみたいところはどこだと思いますか?
 そう、売店を置いて他にないのであります。わたしの場合は...
 
それまで全然意識してはいなかったが倒れて以来当然のようにアルコールを絶っていた。
 「アルコールを断つと甘いモンが恋しくなる。」よく聞くセリフである。実際そんな事があるのだろうか、と思っていた。
 自分でアルコールを絶ってみて思った事。「アルコールを断つと甘いモンが欲しくてたまらなくなる。」噂は本当であった。
 
悪いことに一人で売店に行けるということはブレーキをかける人間がいないということである。医者の立場で言えば自分自身でブレーキを、というところなのであろう。
 が、そんなブレーキを自分でかけられるなら脳卒中なんかになってないのである。
 
チョコレートに饅頭、カステラにクッキー、看護師に内緒で買い込んでは病室に持ち込み消灯後に食べていた。
 ボリボリとビスケットをむさぼる音がうるさいと隣のベッドにいる患者さんに怒られもした。
 ならば音のしないであろう一口大のカステラにした。そしたら包装紙を破る音がうるさいと怒られた。
そんな攻防が楽しくもあった。

入院時90kgだった体重は毎日のリハビリと食事療法のおかげで86kgまで下がっていた...が!間食をスタートして10日後には89kg
になっていた...どうするおい?


歩行訓練と別れとスキンヘッド
 6月後になるとリハビリの時間に外を歩くようになった。勿論理学療法士の付き添い付きである。
 リハビリ室のある4階から1階まで階段を歩く練習もするようになった。
 そこで大きな変化が一つ。担当の理学療法士が交代したのである。
 階段や屋外へと行動範囲が広がるにつれバランスを崩したりした時に支えるのが無理だ、という理由で華奢な女の子から屈強な男子に変わったのだ。
 一生寝たきりと言われていたわたしが杖歩行とは言え歩けるまでにしてくれた彼女との別れは(そんな大げさなものではないのだが)マジで辛かった。思わずグレそうになった。
 そんな事ばかり言っててもしょうがないので新しいPT(理学療法士)とのリハビリに力を入れようとしたのだが...まぁ屈強なだけあってそれなりに歯応えのあるリハビリとなった。
 歩行訓練はそれまでとそう変わらなかったのだが、PTの補助の元に行う腹筋や背筋、足上げやお尻上げはPTがかけてくる抵抗が大きい分ハードになった。
 気合を入れようと院内にある床屋で頭を丸めた..どうせ入院中の身である。病院関係者以外誰とも会わないだろうと思いまゆげも剃ってしまった。
 職場の支所長が見舞いにいらしてわたしを見るなり思いっきり表情を曇らせたのはその翌日の事である...
  

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