障害者になって思った幾つかのこと

脳幹出血で倒れてから11年、障害者になって思った幾つかのことを忘れないうちに記録しておこうと思いブログを始めてみました。 一応社会復帰は果たせたので実際に社会に出て思った幾つかのこと、趣味のギターをしつこくも続けているのでそれにまつわる幾つかのこと、いろんな事を思いつくままに記録して行こうと思ってます。

カテゴリ: 発病〜社会復帰

 今日はリハビリの話だ。
 リハビリ病棟では食事の前に嚥下体操というのをやっていた。食物をスムーズに飲み込めるようになる、と言うヤツである。
 体操自体の内容はほとんど覚えてないのだが印象的な出来事が一つ。
 体操を真面目にやっている人はほとんどいなかった。看護師や介護職員、患者の付き添いの人たちは真面目にやっているのだが患者で真面目にこなしている人はいなかった。
 もちろん自分もその一人である。
 体操の最後には全員で「パタカ・パタカ」と連呼するのだがそれまで雑談していた方もこれだけは真面目にこなしていた。かなり大きな声で一生懸命に発音していてかなり印象的であった、と当時の日記には書かれていた。
 
 現在の職場では朝礼の時体操をするのだが、両手を挙げて後ろにのけぞる動きが右半身に麻痺が残り平衡感覚も狂っている自分にはどうしてもできない。
 そんな事にストレスを感じていた時なぜだか不意に嚥下体操の事を思い出してしまった。そしてあの時の考えは間違っていたのかも知れないと思うようになった。
 体操をやっていなかったのではなくて、体が動かせなかったため出来なかったのだ...大変に申し訳ない気持ちになった。こんな簡単な事なぜ解らなかったのだろう?

 その頃にはリハビリの甲斐あって5月中旬にはトイレに行く時介助を必要としなくなった。
 ただし介助は必要としないが介護職員による見守りは必要。相変わらずトイレの際にはナースコールを押さなければならなかった。
 病棟のトイレでは便座を上げる事が禁止されていた。
 なんでも便座が上がっているのに気がつかずそのまま腰を下ろして便器にはまってしまい立てなくなりナースコールをする患者が後を絶たなかったらしい。
 想像してみてほしい。便座を下ろしたままの状態で立って用を足すとどうなるか...便座はいつも汚れていたから介助や見守りの職員がその都度掃除をしてくれていた。
 申し訳ない気持ちが半分、汚くねーか?という気持ちが半分、状況的にしょうがないだろうなという気持ちがほんの少し...一刻も早く立って用を足せるようになりたいと願っていた。

 そんなある日立って用を足す許可がもらえるチャンスがやってきた。
 リハビリ病棟では月に一度教授による審査がありそれを通過しないと次のステップに進めない事になっているのだが「次の審査を受けてみませんか?」と理学療法士がおっしゃったのだ。
 日頃は怖いばかりの先生ではあったがこの時ばかりは華奢で可愛らしい女性に見えた...わたしはなんて調子がいいのだろう。

 無事審査は終わり立って用を足す許可をいただいた。まぁ、考えてみればそれだけなのだけれどここまだ結構時間がかかっただけに妙に嬉しくて得意気だったのを覚えている。

 2〜3日後の事である。
 理学療法士の監督のもと立ち座りの練習に励んでいた。これが結構きつく確実に足腰が鍛えられていってる実感がある。
 脳出血で平衡感覚に自信のないわたしはふらついても踏ん張れる脚力をつけることが最重要課題とされていた。
 それにしても100回3セットって鬼じゃね?(ほとんどスクワットだぜ)。とか思いながら黙々とこなしていた。もしかしたら不甲斐ないわたしが人生で一番真面目だったのはこの時期だったかもしれない。
 いつもとなんら変わりなく運動をこなしていたら不意にバランスを崩して椅子の上に尻餅をつくような格好で座り込んでしまった。
 「立ってトイレをするのはまだ止めときましょうね〜。」理学療法士の情け容赦ない声...
 油断していた。調子に乗っていた。三歩進んで二歩下がる〜。また元通りかよ!いろんなことを思ったが全ては後の祭りだ...
 相手は若い、可愛い、怖い、の三拍子が揃ったあの彼女だったのである。 
  

 友人に家の合鍵を渡しギターを持ってきてもらった。転院する前の話である。
「リハビリには是非とも必要だ。」と言うと割と簡単に持ち込みを許可してくれた。
 但し、病室では弾かない事が条件だ。食事時間以外に空いてる食堂でなら許可します。という条件付きである。
 今のリハビリ病棟でもそのような条件付きではあるが持ち込みの許可が出た。
 他の入院患者の事を考えると条件付きは当然の事であり、部屋でも弾きたいのなら個室へどうぞ、という事だった...まあ当たり前であろう。
 弾いてみて驚いた 。まるで弾けない。いや弾ける弾けないを云々するレベルではない。ピックすら持てないのである。唖然呆然である。どうしよう?
 しばらく触ってなかったためか弦は結構錆びている。これは交換するしかないだろう。
交換作業に取り掛かってまたもや唖然呆然である。片手で弦交換...無謀だ、無謀すぎる。弦交換に1時間半もかかってしまった。
 それ以来わたしは錆びに強いコーティング弦を愛用している。と言うかそれしか使ってない。
 そしてチューニング。またもや唖然呆然...頭の中で何匹ものセミが鳴いていてこいつらが物の見事にチューニングの邪魔をしてくれる。
 どうにもチューニングができないのである。機械に頼らないとチューニング一つできないカラダになってしまった。まさしく唖然呆然←しつこいっ!
 上等じゃねーかコラッ!ここから這い上がってやるぞっ!その方がドラマチックでいいだろうよ!
 訳も分からず大変無謀な事を心に誓ったのであった...。
 今に見てろよーーーーー! 

 そんなある日先輩が見舞いに来てくれるというのでDVDをリクエストした。
 Deep Purple   Live in concert 72/73 
                           California JAM 1974
  Whitesnake   In the still of the night の3枚。
 古いと思うか懐かしいと思うか、人それぞれだろうけど 筆者にとっては間違いなく懐かしい。
 初心者だった頃(中学生だったな)必死でコピーした曲がいくつも収録されている。
 あの頃は何も弾けないなりに楽しかったな。
 まだカラオケもない時代、自宅にあったヴォーカルアンプにギターをつなぎレベルオーヴァーで壊れる寸前の汚い音で「これがロックだぜ!」とか言って技術もへったくれもない演奏をして陶酔していた...誰か止めてやればよかったのに誰も止める人間がいなかった。
 おかげで稚拙な演奏のまま大人になり、極度に低い精神年齢のまま中年になり、度を越した飲酒量に後押しされる形で脳卒中になり、気が付いたらこんな初老を迎えてしまった。
 それに比べるとWhitesnakeは最近だ(90年代だけど)。 これも大半の曲は昔コピーしたし自分のバンドでも演奏した。中学時代よりいくらかは上手くなっていたがまだまだ下手くそである。
 それにしてもその時のバンド名がBlacksnake...もう少しひねれよ!

 ノートパソコンで鑑賞した。仕事のリハビリに必要で持ち込んでいたのだ。観る前はいろいろ思い出して涙腺が崩壊するかな?と思っていたが以外と冷静に見れてしまった。
 コピーできてたつもりだったけどよく見りゃ違うじゃん。とか、どいつもこいつもレコード通りにゃ弾かねーな。とか、割と分析的に観てしまったのであった。
 DVDを持ってきてくれたこの先輩、パソコン、ギター、練習用アンプ、サムピック...いろんなものをもってきてくれた。
 倒れる前は良く遊びに来てくれていたのでわたしの家のどこに何があるか把握している。
 それを良い事に持ってきて欲しいものがあると合鍵を渡してはお願いしてた。
 長い入院生活が苦になるどころか以外にもメチャ楽しかったのは先輩のおかげである。
 おまけに若くて可愛いスタッフが多かったし...それかいっ!
 

 さて、話題はリハビリにもどる。
 以前の病院で 「一生寝たきりです。」と宣言された話を以前も書いた気がするのだが、その辺の事をこちらの病院でも主治医に質問してみた。
 答えは「自分次第です。頭の中の病気は頭で考える事に大きく左右されます。希望を捨てたらそれまでです。」と言われた。
 とにかく信じてみる事にした。
 どうなるかは分からない。が、信じてみるより他になかった。
 結果、入院してすぐ尿管は取れ看護師の介助付きという条件はあったものの病室のトイレを使用する事が許された。”一生寝たきり”だと思っていたのでどえらい事を成し遂げた気になっていた。
 しかし人間いい気になるとロクな事がない。それからほどなくしてベッドから車椅子への移乗をしくじり転倒する事になる。しかも、介助役の看護師を下敷きにして...
 その時(今もだが)私は一人暮らし、退院後は社会復帰も予定していた(独り暮らしの身としてはそれ以外選択肢が無かったのだ)。
 車椅子への移乗で転倒するようではとても一人暮らしはさせられない。と言う訳で、当初2ヶ月の予定とされていた入院期間 は大幅に伸びたのであった。
 
 その後リハビリは順調に進み4月29日には一本杖を利用してわずか5メートルではあったが歩く事に成功していた。
 思えば当初の私は全身が麻痺して意識はあるものの自分で呼吸する事もできない状態であった。
 最初に入院した病院では「右半身不随、一生寝たきり。」と診断され「リハビリ病棟でも右手のリハビリをするのではなく右手の代わりに左手を使う、いわゆる利き手交換に力を入れなさい。」といわれていた。
 歩くなんてなかば諦めかけていた。それが転院して一ヶ月もたたないうちにわずかながら歩くことができたのだ。
 理学療法士の先生(これが若い、可愛い、怖い、の三拍子揃った素敵な女性だった)に
 「どうですか?初めて歩いた感想は。」と聞かれた時 
 「ありがとう。」と言ったきり何も言えなっくなってしまった。 
 ひとことでも発したら号泣しそうで...泣くのをこらえていたのだな。恥ずかしいぞ!オイ! 
  リハビリはまだまだ進む。
 5月21日には初の外出許可がおりた。もちろん付き添い付きである。杖歩行で外出なんてのはまだまだ危険なので付き添いに車椅子を押してもらっての外出である。
 久しぶりの街にえらく緊張。あんなに大勢の普通に歩く人を見たのは久しぶりだ。
 車椅子目線で見る市街地はなんか怖かった。
 日頃バリアフリーの病院で暮らしていてすっかり忘れていたが、外に出ると段差はあるし坂はある。
 ちょっとした坂があってもちょっとした段差があっても何もできなくなる。
 たかが2時間の外出ではあったがえらく疲れた。
 病院を一歩出ると一人じゃ何もできないこと。
 こんなんじゃ退院できたとしても独り暮らしなんてできないであろうこと。
 いろんなことを思い知らされた。
 そんな状態でも社会復帰しようとしていたのだから図々しい。
 オマケに趣味のギターを再び弾けるようになりたいって...
 単なる勘違い野郎である。

 しかし時に「大いなる勘違いは大いなる現実を引き寄せてしまうこと」がある。
 当時のぼくには勘違いしたまま突き進む以外に道は無かったのである。 

 

 話は思いっきり飛ぶ。

 私はかなりイビキがうるさいらしい。寝ているもんだから自覚症状は無い。が、人から言わせるとかなりうるさいらしい。

 しかもしょっちゅう呼吸が止まるらしく側から見るとかなりスリリングであるらしい。

 思えば 脳出血前、睡魔に勝てず寝てはいけない場面で寝てしまう事がかなりあった。運転中に寝てしまい約2メートル下の田圃に落ちた事もあった。国道で追突事故を起こした事もあった。歩道に乗り上げた事もあった(人が居なくて良かった)。

 以前入院してた病院ではあまりにイビキがうるさかった為「追加料金はいただきませんから個室に移動してください。」と懇願されたこともある。

 リハビリ病棟でもかなりうるさかったらしい。しかもしょっちゅう呼吸が停止して、同室の患者さんたちに不気味がられていたらしい。夜勤の看護師達も呼吸が停止する瞬間を目撃したらしく「これはこのままにしておくわけにはいかない。」との判断から、退院間近のある日無呼吸状態のテストをする事となった。


その結果...判定 重症

無呼吸時間 最低10秒、最長84秒

無呼吸回数 一晩324回

あれまあ、随分と重症である。


対策=ダイエット.......


 退院間近だったのでとくに治療はしなかったが、退院してから地元の国立病院(脳出血で最初に運ばれた病院)で詳しく検査する事になった。一泊二日の検査入院が2回... やはり重症には変わりなく、その結果寝る時はC-PAPと言う名のかなり大げさな装置を着用しなければならなくなった。
 これがないと睡眠中にしょっ中無呼吸状態になるため外泊する時は持ち歩かなければならないのである。

 睡眠時の無呼吸は血圧をかなり上昇させるらしく脳卒中のリスクが通常の人と比べて4倍にもなるらしい。それに加えて呼吸が停止する事による突然死の可能性だって有る訳でC-PAP無しでは怖くてゆっくり寝ていられないのだ。
死なないにしても呼吸が止まって目が醒めるのは実に苦しいし怖いのだ。なんでこんな事になったかなぁ?
原因=肥満、対策=ダイエット。答えは出ているんだけれど...まいったなぁ。
 
C-PAPという機械、どんなものかさっぱりわからない方が多いのではないかと思う。IMG_3138 



 これ(写真)であります。→
 寝る時に鼻に装着して寝ます。すると鼻から空気を一晩中送り込み無理やり気道を確保します。そんなことして苦しくないの?はい、苦しいです。
 慣れるまではなかなか寝付けなくて困りました。かえって睡眠不足になったらどうしてくれるんだよ!とか思いました。
しかし一度眠りについてしまうと(深い眠りにつけるせいか)途中で目覚めることもなく快適に眠れます。
 慣れるまで3ヶ月近くかかりましたが今ではこれがないと...途中気道が狭くなって呼吸が弱くなると空気圧を強めて気道を広げ一晩中呼吸が停止しないようにコントロールするらしい。また呼吸の状態をSDカードに記録してそれによって空気圧の強さを調整(ここらあたりは医者任せ、詳細はわからない)することも可能らしい。
 ある時これをしないでうたた寝をしていたら突然喉の奥が塞がって呼吸ができなくなってすごく怖い思いをしました。それ以来ちょっとした仮眠でもこれがないと怖くて...旅行の際は必ず連れて行きます。
 人間太ると外に向かって太るのは当然ですが内に向かっても太って行きます。その結果気道は狭くなって行き睡眠時無呼吸症候群などの症状を引き起こします。それだけが原因じゃない(顎の骨格に起因する事もあるらしい)にせよ、私の場合は太りすぎが原因の多くを占めるらしく、無呼吸の対策はとにかくダイエットしなさいという事でした。
 デブは万病の元...こりゃマジだな。

 C-PAPを使用しての効果や感想。その他諸々の記述はあくまでも僕(医療関係者でも何でもない)が勝手に思ったことです。
  

 

 転院した次の日最初にしたのは体重測定だった。私の記憶が正しければ倒れる直前の体重は110kgと少しだったように思う。
 測定した日にはまだ立つことが出来なかった。どうやって体重計になんか乗れるのだろうと思っていたら何のことはない大きな計量器で車椅子ごと測ってくれた。何の苦もなくあっさり計ることができた、後は車椅子の重量を差し引けば OKである。
 病院の車椅子に1台1台重量が書いてあるのはこの為である。
で、肝心の体重はと言うと...なんと90kgジャスト!嘘じゃなかろうか?
 思えば倒れて以来食事らしい食事をしてこなかった。目覚めた後も食事は殆ど残していた。食事についてくるプリンだのヨーグルトは食べていたが肝心のご飯は残していた。何をどうやったって食べたくなかったのである。栄養は点滴で補っていた...と言うより点滴が主な栄養源だった。痩せて当たり前である。
 リハビリテーション科では自分でできることは自分でしなければならない。今まで食事は病室まで運んでもらっていたがこれからは食堂まで自分で行かなければならないのだ。その際の介助はあるにせよあくまで自分で行動するところなのである。でないと「リハビリにならない」と言う事らしい。
 ただ、自分でできる範囲というのは人それぞれであり体の状態によって病院側から決められていた。
 私はと言うと入院当初は自由に動けるのはベッドの上のみ、何をするにもナースコールをして介助または見守りをしてもらわないといけなかった。車椅子は手の届かないところに置いてあったから、嫌でも寝たきりからのスタートを余儀なくされたが、転院前に聞いていた数々の噂にビビっていたので「これでいいのだ!」と 素直に納得してしまった。
 ここでは担当の理学療法士と作業療法士と主治医の三者で相談して了解が出れば少しづつ行動範囲が広げられるシステムになっているらしい。まずはベッドから車椅子への移乗を一人でできるようにならないと先には進めない。
 職場からは「1年間の休職扱いにしておいたからじっくりリハビリしてこい。」との言葉をいただいていた。ここはお言葉に甘えてしまおうではないか。時間をかけて焦らず少しづつやって行こうと心の中で決めたのだった。
 ベッド上しか運動許可が下りてない状態からのスタート。食事の時は介護職員に車椅子で食堂まで連れて行って貰う。最初の食事の時に作業療法士がついてくれてその人にあったスプーンや箸(介助用の特殊なもの)を選んでくれるので次回からはそれらを使い何とか一人で食事を済ませなければならない。
 どうしても無理な事に関しては介護職員か看護師にサポートをお願いすると手伝ってはくれるのだがそれではリハビリにならないのでギリギリまで自力で、と言うのが基本的なルールである。

 トイレは自分の場合倒れて以来膀胱留置カテーテルを使用していたのでここの病院でも引き続き使用することになった。しかし自力で用を足すための筋肉の使い方などを少しづつ思い出して自分で排泄出来るようにする為2〜3日後には抜くことになった。
 それ以降はしばらく看護師に尿器で採ってもらっていた。...で、リハビリが進むとポータブルへ、もっと回復すると車椅子でトイレまで連れて行ってもらって用を足す、勿論介助付きだ。本当に一歩づつ前進する感じである(こうやって振り返ると悲惨だな)。

 肝心のリハビリであるが理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、それぞれの個別リハビリが毎日30分づつあった。運動許可が下りる前は毎回車椅子を持ってお迎えが来てそれぞれのリハビリルームへ向かっていた。
 先生についてのリハビリの時に「ここでの30分だけでは触りぐらいしかできないので運動許可が下りたら病室での自主トレにも力を入れてください。」と厳しく言われていた。
 そこの病院は通常6人部屋の広さの病室を4人で使用していた。えらく贅沢だな、と思っていたら立ち座りの練習などの簡単なリハビリは病室でも行えるようにとの配慮からであった。
 「個別で与えられた課題を暇さえあれば自主トレしなさい。30分づつの個別リハビリでどうにかなるような簡単なことでは無いのです。」と言う事らしい。

 私は改めて気合いを入れ直した...時間はかかっても良いから着実にリハビリに取り組んで行こうと思った。

 看護師にしろセラピストにしろ若くて綺麗な娘が多いんだもの... 

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